罪と罰(0)/ドストエフスキー作

20日に記した通り「罪と罰」(ドストエフスキー作)について、Blogを書いてみたいと思う。とても困難な作業になると思う。自分としては不満足なBlogになっちゃう可能性が高いけど、とりあえず書き出そうと思う。書きながら、本作への自分の想いや考えを整理したい。

さて、以前にも記した通り、本作を読むのは三度目。最初は高校1年生の「夏休みの読書感想文」にて。あの時は「一日50ページ」なんて目標たてて、まさに「苦しみ喘ぎながら」読み終えた。今思うと、読書なんてそんな「ノルマ」を課してするもんじゃないよね。若気の至りと言われれば、それまでである(笑)。肝心の感想文を書こうとした時には、頭の中には何も残っていなかった。夏の終りに呆然としたのを覚えている。あの時は、僅かに「ラスコーリニコフが老婆を殺害する場面」にちょっとハラハラしたくらい。


二度目は28歳の夏。体調不良にて一ヶ月の休職をしたとき。この時も市立図書館に毎日通って、結構「求道的(笑)」に読んでいたのだが、最初に比べると、わりと楽しめたように思う。この時は「ドゥーニャとスヴィドリガイロフの絡み」がいたく気に入った。なんてスリリングで美しいんだろう。そして人物像の複雑さ。ドスト氏の凄さをちょっと分かったような気がした。

そして今回三度目。42歳のオッサンとなり、頭脳は成熟した。なにより、結婚したことが大きいと思う。人間をいろんな角度から観察できるようになった。各々の登場人物の個性が、以前よりも格段に理解できる。だからこそ、読んでいて楽しい。ラスコーリニコフの犯罪思想についての関心はやや薄れ、むしろドスト氏の創りだす複雑な人物像に興味を惹かれた。

世界的な名著というのは、一度読んだらお終いではない。各年代にいろんな出来事があり、自分のアイデンティティも変化する。変化した頭脳で再読してみると、思わぬ発見があったりする。今回はとりあえず「42歳のまるちょう」が捉えた「罪と罰」を記したいと思います。

構想としては、やはり人物像に光を当てたい。下記のよっつを軸に書いてみます。

#1 美しきドゥーニャ

#2 スヴィドリガイロフの複雑怪奇

#3 聖なる娼婦ソーニャ

#4 ラスコーリニコフの罪と罰


本当言うと、ラズミーヒンやポルフィーリイなんかも捨てがたいキャラなんだけど・・ とりわけラズミーヒンは、他人とは思えない「いい奴」である。こんな友がいたら、人生楽しくなりそう。ドゥーニャと一緒になる結末も、大いに満足。個人的には「アドルフに告ぐ」(手塚治虫作)に登場する峠草平を連想した。予審判事のポルフィーリイが心理的にラスコーリニコフを追いつめて行くくだりは、読んでいて恐ろしいくらい。昨今の事件解決の過程で足らないものを、彼が呈示しているような気がする。そしてそして! わがマルメラードフ! 彼を忘れていた! 徹底的にだめな奴、どんな人間の心の片隅にも潜んでいそうな奴。持ち金すべて飲んでしまい、激怒した病身の妻に髪を掴んで振り回され「これも私には快楽なんですよ! 苦しみじゃなくて、か・い・ら・くなんだ、あなたァ」と叫ぶマルメラードフが、なぜか憎めない。

おっと、めちゃ脇道にそれてしまった(笑)。では、次回から順番に語りたいと思います。