近況・・再会

近況をひとつだけ書いてみたい。題して「再会」。今年1月14日のBlogで触れている「高校一年のときの担任のS先生」とお逢いすることができた。いろいろ感じたことがあるので、順序よく記してみたい。

それは先月の28日のこと。その日の午前は京都市内のT診療所で健診業務をしていた。そこへ、以前C病院で救急番の時にお世話になっていたM看護師が受診された。M看護師はベテランだけど、ほんとにチャキチャキして若々しい。その診察中に、上記のS先生のことを切り出された。どうも容態が悪いらしく、最近救急を受診されたこと。私の名字はとても珍しいので、S先生はすでに気づいておられたようだ。高校時代の私の様子なども、話されているという。M看護師はそういった状況を簡単に示唆されたのだが、私ののろい頭では、具体的にどうするかイメージできなかった。結局「今度MさんがS先生に会うことがあれば、よろしくお伝えください」と定型的な挨拶をして、M看護師の健診は終わった。


しかし、M看護師が診察室から出て行った後から、私の頭の中で「これでいいのか?」という混乱がわき上がってきた。健診業務の合間をぬって、いつの間にか、私はPC端末でS先生の情報を収集する作業をしていた。これはほとんど無意識に、気がついたらそうしていた。一種の焦燥感さえあったかもしれない。S先生の名字はM看護師が伝えてくれたんだけど、これが思い出せない。私の覚えているのは、高校一年時の旧姓「Y」なのだ。手がかりは、下の名前と担当医が消化器科のK医師であること。でも、電子カルテというのは、こういう時とても優秀である。なんとかS先生のカルテまでたどり着くことができた。確かに、数日前からC病院に入院されていた。もちろん病棟も分かる。

さて、ここでどうすべきか・・ 健診業務をこなしながら、いろいろ葛藤した。S先生の衰弱の度合いがどうか? 突然訪問して、負荷にならないか? でも・・結局は私の思い切りにかかっていた。私という人間は、こういう状況で「引いてしまう」タイプなのだ。そして後で「ああしておけばよかった」などと後悔するのだ。先生としては、昔の教え子がやってきて、悪い気がするはずないんだから。仕事をしながら、少しずつ意志を固めていった。「ここは、何があってもS先生に逢いにいくべきだ」と。

そうして、午前の仕事が終わると、まずは近くの讃岐うどん屋さんで腹ごしらえ。腹が減っては戦ができぬ。戦するわけじゃないけどね。でも、まるちょうという人間にとっては、それくらいの「思い切り」が必要な場面だった。当たって砕けろの精神で、C病院へ。ずんずんと北三階へ向かう。病室を探すのに手間取るかな?と思っていたが、すぐに見つかった。ベッドの周りにカーテンがかかっている。ちょっとためらったが「えい!」という感じでカーテンの中へ入っていった。

そこには、S先生が静かにベッドに休んでおられた。先生だけで、ご家族はおられなかった。一瞬、先生も驚かれたようだったが「高校時代にお世話になったCです」と挨拶すると、すぐに状況を理解された。それからは、あれこれ近況など。先生は予想していたよりも、お元気そうだった。ただ、長話はお疲れになると思い「手短かに」と心がけていた。一番印象的だったのは、先生が指差した「家族の写真」。そこには、健康な頃の先生とご主人、そして立派に成長したお子さん(みなさん成人)三人。お子さん三人が、同僚の先生かと勘違いするほど立派でイキイキしていて、まさにフレッシュマン。その写真をぱっと見ただけでは、何かのお祝いごとではしゃいでいるような雰囲気だった。

その写真を拝見して、私は心から「思い切って先生の病床を訪問してよかった」と思った。27年ぶりの再会。27年のうちに、そりゃもちろんいろいろあるわけですよ。いいことばかりじゃない。私だって地獄をみたこともあったし、人生とはそれほど生易しいものではないと思っている。でも、あの写真は、先生の「幸福な27年」を紛れもなく象徴していた。あんなに大きくて立派なお子さんが三人なんて! 意表突かれた!(笑) S先生、27年間幸せだったし、今も幸せなんだな。あの一葉の写真で、私の心の霧が晴れたというか。

頃よいところで、先生にご挨拶して病室を出た。私の心は充足感で満たされていた。ひとつは、先生が幸せであるということを確認したこと。もうひとつは、いつもの「引いてしまう」自分に打ち勝ったこと。そうして、午後の仕事へと向かった。先生、うまく言えないけど・・ありがとうございます。

以上、S先生との再会について、書いてみました。