近況(2)

前回に引き続き、近況をよっつほど。

ひとつめ。お蝶夫人♪はクリスマスに一仕事あったわけだが、正月にもまた一仕事ある。ずばり、おせち料理。以前、草津近鉄で出来合いのを買ったことがあるけど、イマイチだった。あんなにたくさん食べないし、やはり味も今ひとつ。そこで、料理上手のわが嫁が、昨年から意を決して腕を振るうことに。蔵書にちゃんと「お正月の料理」というのもあるし、そのポテンシャルはあったわけだ。正直に自慢するけど(爆)、彼女の作るおせちはちょうどよい分量で、お味もすこぶるよい。出来合いのは、やはり保存料とか入ってるんだろうね。なんといってもできたてを食べれるというメリットがあるし。大変美味しゅうございました。ありがとう、わが妻よ。m(_ _)m


ふたつめ。毎週水曜日の午後、新型インフルエンザのワクチン接種の問診をしている。6日も、結構な人数の受診者が来られた。私がやることといえば、定型的な質問をして、簡単な注意事項を述べるくらい。ほとんど機械的な作業と行ってよい。混雑してくると、ほぼマシンの状態である。あまり余計なことは考えられない。まぁ短時間の作業なのでいいんだけど。そんな中、ある中年女性の受診者がやってきた。問診票の現在かかっている病名欄には「胆管細胞癌」とある。「あぁ、担癌患者さんだから優先なんだな」とぼんやり思って、ぱっと顔を上げて受診者の顔を見ると、どこかで見たことのあるような顔なのだ。担癌患者さんらしく、ひどくやつれて髪もぼさぼさ、歩くのもしんどそう。忙しい流れ作業の中で、私の記憶が閃いた。そうだ、高校一年時の担任の先生だ! 名字は変わっているが、名前はこうだった気がする。・・しかし、その一瞬で私はその受診者の顔が見れなくなった。何故だろう? 考えたわけではなく、そう身体が反応したというか。

結局私はその恩師の顔を見ずに問診を続け、素知らぬ振りをして「あちらで注射になります」と案内した。これらは全て「忙しい流れ作業のひとつ」に過ぎない。すぐに次の受診者の問診に移る。でも、私の心の中に、言いようのない「不本意さ」が芽生えてきた。次々問診の作業をしながら、恩師の後ろ姿をチラチラと見ていた。さっき、もっとフランクに「先生、お久しぶりですね! 僕はこうして元気でやっています」と挨拶できなかったのか? 先生は、最後まで私の方は振り向かなかった。まぁ、気付いておられないだろうな。なんといっても26年ぶりなのだ。仕事をしながら、その長い歳月の重みを想った。たぶん、先生は50代半ばくらいだろうか。結局声はかけられなかったけど、それでよかったのかもしれない。先生も教え子に、自分のやつれ果てた姿を見せたくないという心理はあったはず。だからこそ、私もあの一瞬で「痛々しい気持ち」から声がかけられなかった。それでいいんだろうと思う。ちょっとはがゆくて、哀しいすれ違いを記してみました。

みっつめ。あれほど熱中していたTwitterを止めた。8日のことである。理由は、家族への目配り、もっと直截的に言えば「関心」を呼び戻すため。もともとパソコン星人であるまるちょうは、Blog書いたりネット将棋したりしてるときは、PCにどっぷり没入してしまう。他のものが一切視野に入らなくなる。そして、Twitterというツールは、その傾向をひどく助長してしまう。以前にも書いたように「明らかな中毒性」があるのだ。確かに器用な人なら、家族への目配りも両立できるだろう。でも、まるちょうは駄目。12月から始めて、面白くなるにつれて、家族への関心が薄れていった。一番怖いのは「薄れている」という自覚がないこと。気付いたら、PCか携帯の相手ばかりしている。そしていつしか「TwitterのためにiPhone買おうかな?」なんてうそぶいている。

フォロワーが60近くになり、タイムラインがひどく混乱してついていけない。この気ぜわしさが、家族への関心を薄れさすのだ。そんな中、気の合うTwitter仲間がアカウント削除した。仕事と家族がおろそかになったとの弁。自分はどうか?という自問にて、やはり「家族がおろそかになっている」と自覚するに至る。そうして8日、すっぱりアカウント削除した。もちろん、Twitterのメリットも大きい。Blogの宣伝媒体としては、なかなか有力だし、気の合う仲間と一体感を持つこともできる。だから、止める際に「心残り」がなかったと言えば嘘になる。自分が独身者なら、続けていたかも。でも不器用な「一家の長」にとって、Twitterは危険をはらんだツールだと思う。

止めて数日後、ごく普通にしていたつもりなんだけど、ダイゴがお蝶夫人♪に「お父さん、話を聞いてくれたよ」と笑顔で語っていたという。それだけ、息子への関心が薄れていた証拠である。ほんとに残念な面もあるけど、Twitterは止めて正解だった。それにしても、2クリックでアカウント削除できるという手軽さ。その「恐ろしいほどの軽さ」が、Twitterの本質なのかもしれない。人によれば何百もある繋がりが、たった2クリックで消滅するのだ。怖い世界ではある。

よっつめ。7日にとても嬉しい出来事があった。08年の11月に「夕凪の街 桜の国」という映画の感想を書いた(→こちら)のだが、当時はあまり関心を払う人はいなかった。それが、6日に本作の作り手である佐々部清監督から、直々にコメントをいただいた。これを見た時の私の驚きや嬉しさというのは、ブロガーじゃないと解らないだろう。佐々部監督は「プロの評論家が酷評した『桜の国』を、こんなふうに観てもらえて嬉しかった」と仰った。私としては、とても自然な気持ちを書いただけなんだけど。何しろ、埋もれていたBlog記事に目を通され、評価して下さった佐々部監督に感謝である。こちらこそ感激です。ブロガー冥利に尽きるというのは、まさにこのことだろう。Blog書いててよかったなぁ。Blog本文の終わりで、佐々部監督の代表作「半落ち」を観ると言っていたのに、まだ観ていない。早速アマゾンで取り寄せた。また鑑賞して、感想を書き留めようと思う。思いがけない新年のサプライズでした。

以上、近況を二回わたり記しました。