運命の人とはいつ逢えるのか?

「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>28歳独身のOLです。私はこの間無理矢理お見合いさせられたのですが、外見も中味も条件も申し分のない人でした。でも私にとっては何かがちょっと違う、言葉でうまく言えないけど・・えらそうですが、85%くらいの人だなと思いました。正直に、自分が無理矢理お見合いさせられた事、妥協で結婚したくないし、じっくり関係を深めたいことなど話しました。しかし、相手の方は一刻も早く結婚したいから、じっくり付き合っている暇はない等の理由で断られました。別に後悔はしていません。自分に正直になれた事がうれしかったし、時間をかけて付き合えない人とはうまくいくとも思えないし。がんばって私にとって100%の男の人に出会えるように心を開いて待ってようと思います。適齢期なんて関係ないですよねっ。


<村上さんの回答>うーむ。「一刻も早く結婚したいから、じっくり付き合っている暇はない」というのもすごい断り方ですよね。狭い日本、そんなに急いでどこに行く。あなたがおっしゃるように、適齢期だからといってばたばたあわてて結婚することはありません。当たり前の話です。ゆっくりと自分にあった相手を見つけてください。僕のささやかなアドバイスは「その人の前に出ると、思わず顔がほころんでしまうような相手がいちばんだ」というものです。条件なんて関係ないです。

<まるちょうの考察>この質問者のおっしゃるテーマはずばり「運命の人とはいつ逢えるのか?」である。これは男女関係における永遠のテーマかもしれない。結婚する時にどれだけこの観点でこだわるかが、大きな山場である。でもそもそも「運命の人」ってなんやねん?「自分にとって100%の人」ってなによ? ある意味そんなの幻想だけなのかもしれないし。

ただ、村上さんのおっしゃる「思わず顔がほころんでしまう人」というのは、気の利いた定義かもしれない。まるちょうの思うに、ここで大事なのは「静けさ」だと思う。若い娘がアイドルに向かって「キャー!」と叫ぶのとは全然異質である。あの「キャー!」は、恋に恋しているだけであって、本物の「愛」ではない。本物の「愛」は、もっと静かで自然体だと思う。一緒にいて落ち着ける相手というか。

ちょい昔の映画で「めぐり逢えたら」というのがあった。あれもテーマは同じ。メグ・ライアン扮するアニーは、話の始まりではすでに婚約者がいるのだが、この騒がしいこと。それが、ラストシーンでトム・ハンクス扮するサムに出逢うシーンでは、すごく静かである。二人は静かに見つめ合う。真実の愛には、言葉は要らないのね。あ、キザなこと言っちゃった(笑)。

さて、吉本隆明という人が面白いこと言ってる。

言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです。言葉というのはオマケです。沈黙に言葉という部分がくっついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。なにか喋っているときは、それがいいにしろ悪いにしろ、もう余計なものがくっついてるんです。だから、それは本当じゃないと思います。

結局「運命の人」って何よ? まるちょう的には「沈黙に耐えられる関係。静けさの中に微笑みが生まれる相手」と定義したい。お蝶夫人♪が、ちょうどそんな感じです。あ、おのろけ(笑)。デートしていても無理に喋らなくてよかたったので、楽だった。お互いに自然体でいられるというのは、大事ですね。ただ、そういう人が存在したとしても、向こうがピンと来てないとか、妻子持ちだったとか、タイミングという問題はある。まぁ、タイミングも含めて「運命」なのかな? だから結婚というステップは、突き詰めて考えると、まさに神業のレベルなんだね。ふぅ。

その一方で、漫画家の柴門ふみは「男なんて、結婚したいと思った時に横にいた女と結婚するのよ」とおっしゃる。神業的な側面がある一方で、このような現実も確かにあると思う。元来、男って「横にいる女」と結婚するもんだと、まるちょうも思う。「婚活」というのは、男性の女性化が進んだからこそ出現した言葉だと、まるちょうは睨んでいる。だから「運命の人」という発想自体が女性的なのかもしれない。女性は上を向き、男性は横を見る。なんとも困った構図ではある。やれやれ。

以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。