村上さんの性欲は強いのか?

またまたバタバタしていて更新できませんでした。具体的には週末、舞鶴に一泊で出かけていた。それについては、後日の近況を読んでいただくとして、今回は「村上さんのQ&A」でBlog書いてみたいと思います。いつものように「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりの考察を加える。

<質問>私の会社に上司というか、まあ小さな会社なのでプライベートでもお世話になってるので父親みたいな存在の人がいます。その人と、村上さんの性描写の話になったとき「あいつは、絶対異常に性欲が強いぞ」と言ってました(ちなみにこの人は村上さんと同じ年で、村上さんの本は好きです)。「そうかな・・本だからじゃないの?」と言っても「同じ年の僕が言うんだから間違いない」って譲りません。私は「村上さんはそんなひとじゃない」と思いつつ、私は男でも同じ年でもないので、結局反論できませんでした。村上さん、性欲普通ですよね?(31歳、会社員、東京都、おとめ座、A型)


<村上さんの回答>ロールズロイスという自動車会社は一貫して、自社の車のエンジンの排気量を公開していません。数字についての問い合わせがあると、”enough”と答えるだけです。「とにかく不足ないぶんだけはある」ということですね。僕の性欲も、えーとまあ、その程度です。自慢できるほどのものでもなければ、恥じいるほどのものでもありません。かたちにして「この程度のものです」とお見せできるといいんですが、そうもいきません。上司によろしく。

<まるちょうの考察>まるちょうの思うに、この「上司」さんは村上春樹という作家に対して相当な偏見を持っている。確かに「ノルウェイの森」路線の性描写はリアル。細部において異様に臨場感があり、描写に関してためらいがない。でもそれは、そうする必要があるからそう描かれているので、村上さんの性欲とは別次元の問題だと思う。

例えがイマイチ的確でないかもしれないが、昔「白日夢」という成人映画があり、そこに佐藤慶という役者さんが出演されていた。作中、佐藤さんは愛染恭子と本番を演じるのだが、その頃ちょうど中学生だった私の中では「佐藤慶という役者は、すでにあちら側の人」というイメージを持っていた。ここでいう「あちら側」というのは、つまり「性欲異常者」とか、そいういう類いのレッテルね。性に関して「一線を踏み越えて、もう戻ってこない人」という感じ(笑)。ずっとそんなふうに思っていたのだが、ある日の「笑っていいとも」にテレフォンショッキングで、普通に出演されているのを目の当たりにして「え、こんな人がこんな昼日中からお茶の間に出てきていいの?」みたいに軽いショックを受けた。そして訝しげにテレビ画面を睨んだものだ。あの頃は、ものの見方が未熟で短絡的だった。

あの頃の佐藤さんに対する偏見と自分勝手なレッテル貼りについては、本当に佐藤慶という役者さんに対して謝らなければならない。中学生の頃って、自分自身がそれこそ「性欲異常者」であり(まあ、誰だってそうだよね)、それによるステレオタイプが生じていたのね。佐藤さんは、おそらく「表現の可能性を追求するため」に、こうした汚れ役を引き受けたんだろうと思う。それを考えると、性欲異常者どころか相当な役者魂だ。プロ意識がしっかりないと、こうした仕事はできない。これと同じことが質問者の上司にも言える。要するにステレオタイプなのだ。「あんなエロい文章書く奴は、絶対にエロいはず」という門切り型である。困ったもんだ。

村上さんは誠意を込めて自分の性欲の程度を語っているけど、こんなの当たり前だよ。でもこうした迷惑千万な「思い込み」って、世の中に結構あるような気がする。特に芸術における性描写の位置づけって、微妙ですよね。例えば、ミケランジェロのダビデ像も、青少年が見れば、必ずペニスに目がいくに違いない。しかし、ペニスは結局のところ全体の一部にすぎないのだ。そんなのミケランジェロも本意じゃないだろう。そこばかり見てしまうという心理は結局、観察者の性欲が強いだけなのだと思う。

最後に、性欲は村上さんのおっしゃる通り”enough”が一番よい。弱すぎても過剰でもよくない。まるちょうも常にそれを目指してやってますけど、なかなかねぇ・・(笑)

以上「村上さんのQ&A」のコーナーでした。