2009年回顧

本年最後のBlogにて「2009年回顧」というお題で書いてみようと思う。2009年は、いろんなことがあったけど、やはり何といっても

#自治会長になってしまったこと

これ抜きには語れない。全ては二月だったか、自治会役員会に呼ばれて、くじを引いたことが全ての始まり。引いたくじに、赤い丸が描かれていても、しばらく意味が分からなかった。それが「自治会長大当たり」であることに気づいて、一人時間差で腰を抜かしたのは言うまでもない。画像は、まさにその当たりくじ(笑)。全てはこいつから始まったのだ。まだ、二月のゴミ回収有料化についての説明会と三月の自治会総会が残っているけど、とりあえず現時点で感じていることを記してみたい。


まず第一に、まるちょうという人は「なんたら会長」とかそういうのに、一番遠い人である。人前でしゃべるのが苦手、リーダーシップを取れないし、人見知りが強い。一番なりたくない職業が政治家である。人の意見を取りまとめて、引っ張っていくなんて、出来るはずがない。だからこそ、くじに当たった時に目が点になったのだが、こんな私にも強い味方がいた。お蝶夫人♪その人である。彼女は私と正反対で、人前でもしっかり話すし、堅い信念を持つ人であり、リーダーの資質を持った人だ。彼女がいなかったら、到底自治会長なんて無理だった。彼女は私のために、陰から支えてくれた。この場を借りて、ありがとうと言いたい。

人前での上がり症について詳細に言うと、例えば、新年会でちょっと挨拶するなんて時でも、もう駄目。恥ずかしいくらいに、しどろもどろである。1997年以降、組織に所属せず、個人でやってきたからね。会議もないし、人前でしゃべる機会もほぼなかった。もともと生まれつき、人前でしゃべるのが苦手な性質が、輪をかけてひどくなった。あ、もちろん診察は別ですよ。一対一の会話ならば、全然平気なんだけど、自分一人対多数になると、いかん。ドキドキしてきて、声が震えてくる。

そんな私が、この八ヶ月で相当に鍛えられた。一番最初の一斉清掃の会長挨拶は緊張したなぁ。もうヤケクソだったもんね。九月の防災訓練&火災報知器説明会も同様。必死でやった。説明会の10分くらいのスピーチも、何回練習しただろう? 不安を払拭するために、これでもかというくらいやった。でも、それで何とか乗り越えられたからね。三月の総会で、また相当な緊張を強いられると思うけど、何度もシュミレーションして、乗り切りたいと思う。うまく行ったら、それは大きな収穫になると思うし。

これは副次的な効果だけど、事務的なPCソフトを使いこなすきっかけにもなった。ワープロソフトとか表計算ソフトね。特に表計算ソフトは、これまで本格的に使ったことなかったんだけど、かなり使いこなせるようになった。人間、追い込まれないと、なかなか学習できないものだ。私って、パワーポイントも使ったことさえないんだよね。困ったもんだ。

まるちょうは、心のどこかで「自分は世捨て人」と勝手に決めていた部分があったと思う。時代に取り残されて世間にそっぽを向かれても、まあいいや、みたいな。でも、その腐った性根を、2009年は叩き直してくれた。他の人と力を合わせて何かを成し遂げるということ。やはり、素晴らしいことじゃないか。お蝶夫人♪の助けの下、こうした自己変革のきっかけを作れたことに、繰り返しになるけど感謝したい。

大変な一年だったけど、後からみると想い出深い一年として心に残るだろう。今年は後厄だったけど、あの赤い丸が「厄」だったのかな? しかし「厄」は、別の視点から言うと「転機」の印である。「厄」をきっかけとして、自分の生き方を見直して軌道修正する。「厄」というのは、神様がくれた試練であり、節目なんだね。来年からも、リアルな人間関係を大切にしたいと思う。もちろん、12月に入って始めたTwitterもいいっすね。「繋がる」という方向性では同じだと思うし。もっと人と人との繋がりを意識できればと思います。

以上、個人的に2009年を振り返ってみました。まるろぐをご覧のみなさま、ありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m