象の背中ー旅立つ日ー

YouTubeを語るコーナー! 今回は「象の背中ー旅立つ日ー」という短編アニメを紹介したい。原作は2005年に発表された秋元康の小説「象の背中」。48才のサラリーマンが肺癌で余命半年を宣告された後の生き様、家族愛、夫婦愛を描いている。2007年にアニメ化、および実写版映画化されている。このアニメ版はもちろん原作をモチーフにしているが、独特の温かな雰囲気で仕上がっている。一番良いのは、短くて直観的に理解しやすいところ。子供が観ても、なにがしかの感情の揺れは生じるだろう。例えば小学校の道徳の授業の教材などにもいいかもしれない。まるちょうは何の予備知識もなく本作を見て、うかつにも泣いてしまった。この「不思議な涙」は、そう遠くない過去に流した涙とよく似ていた。そのへんの分析も含めて、語ってみようと思う。前半と後半の二部に分かれています。



本作はずばり「死ぬこと」について語っている。だから相当にシリアスなテーマなんだけど、作画や音楽は、できるだけ「死の暗さや重さ」を感じさせないように作ってある。むしろちょっとコミカルだったりして。だから、まず入って行きやすい。死ぬ日を神様に宣告されてから、象は考える。何が一番自分に取って大事かを。それはもちろん「家族の絆」。素朴で優しい作画は、それをよく表現している。そして当たり前だけど、死ぬ時は「独り」。人生の最期に家族へ哀しい挨拶はするが、出て行くのはちゃんと独りである。でも・・独りだけど、独りじゃない。それを感じ取るとき、涙が出るんだと思う。

人間はみな、結局独りである。これは動かし難い現実だ。しかしその厳しい現実だけ背負って生きて行くのは、到底不可能である。みな誰かに「あなたは独りじゃない」と言って欲しいのだ。芸術の存在意義のほとんどは、それを実証することだろう。重くて冷たい真理なんて「ぺっぺっ」だ。本作を通じて「でも独りじゃない」という確認をして、視聴者は癒され救われる。象さん、ありがとう。

最初に「そう遠くない過去の涙」と記したのは「つみきのいえ」のこと。あの短編アニメも相当泣いたけど、涙の種類としては似ているように思う。共通項としては「人間の根源的な孤独」と「家族の絆」だろうか。これは要するに、前述の「独りだけど、独りじゃない」という言葉に還元されると思う。天国に行っても、家族を想い涙する。その涙が雨となり、虹となる。お父さん象は、この世に帰ってこない。でも、残された家族はお父さん象のことを忘れない。天国のお父さん象も家族のことを雲の上から見守る。この「祈り」に似た繋がりこそが、本作の一番訴えたいところじゃないかな?「つみきのいえ」で言うと、今は亡き妻を想い、老人がグラスをカチンと鳴らすところ。いずれの作品も、温かい家族との微かな繋がりを、さりげなく描いているところが美しいと思う。

以上「象の背中ー旅立つ日ー」でYouTubeを語ってみました。