傾聴すると、いいことがあるか?



「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>大学生、女、京都在住の者です。先日、どこかからの帰りらしい友人がうちに寄っていったのですが、ブラックホールにはまり込んでいるらしく「あたし何してんだろうなあもう」と繰り返していました。多分、彼女は気晴らしだか悩み事相談だかで私のもとへやってきたんだと思いますが、私はハハと笑っているだけで終わりました。こっちは聞いているだけなのに当人はなんだか納得してありがとうまで言ってくれる。私は聞くのが好きだからいいんですけど。村上さんも、どうやら聞き役好きではないかと思うのですが、どうですか?

<村上さんの回答>こんにちは。あなたはなかなか良さそうなかたですね。メールを読んでいて好感を持ちました。僕もたしかに人の話をよく聞きます。僕は女性を口説くみっつのポイントは(1)おいしいものを食べさせる(2)ほめられることならなんでもほめる(3)相手の話をちゃんと聞いてあげる、だと思っています。人の話をよく聞いていると、そのうちに必ず良いことはあります。がんばってください。


<まるちょうの考察>何を隠そう、私まるちょうも「聞き上手」です。その代わり、話すのはヘタクソだけどね。「人の話に真剣に耳を傾ける」という行為は私の場合、仕事の上で絶対に必要である。つまり医療においてね。患者さんは、医療者に何か伝えたいと強く思っている。中には「自分の困っていることを整理して伝える」という行為が苦手な人もいる。そうした人の話も、辛抱強く傾聴する。そうした姿勢が伝われば、医療者と患者のパイプは強固なものとなりうる。こうした土壌があれば、昨今の医療における裁判沙汰はかなり避けられると、まるちょうは思うのですが。電子カルテの方ばかり見ている医療者は、論外である。例の日野原先生は「ちゃんと問診したら七割の病気は診断がつく」と仰っている。一部の精神的な病は、医療者がちゃんと病状を聴いてあげるだけで、症状が改善されることさえある。

我田引水になっちゃった。でも、コミュニケーションにおいて、話すことよりも聞くことの方が大事だと思うんだけどな。上記の質問者も「ハハと笑っているだけ」なのに、感謝される。悩みのある相手の「ツボ」を心得て、そこに共感すること。これだよね。そこでの「共感」は、できるだけ自然な方が良い。そのためには、聞く側は「苦悩」に関して、幅広い経験が要求されると思う。能天気な人は、聞き役としては不適格。もう一度日野原先生にご登場願うと、「医師や看護師は、一度死ぬ寸前まで行くくらいの病気や怪我をした方がよい」とも仰っている。結局その方が「共感」に真剣さが伴うから。患者さんは、そうした霊的な差異を見逃さない。だって向こうは命がかかっているんだから。

ところで、養老孟司先生の著書「バカの壁」は「人間同士が理解しあうというのは根本的には不可能である。理解できない相手を、人は互いにバカだと思う」という論点で書いてあった。でもそれは結局「聴く耳を持たない」からだと思う。理解し合うためには、まず相手を理解しようとすること。自分をどこまで滅して、相手と同じ視点に立てるか。それが出来ないから「バカの壁」は屹立しちゃうのだ。「自分を滅する」というのは、確かに相当な知性がないと出来ないんだけどね。難しいね。

少し大げさに言うと、人類の不幸は「聴く耳を持たない」ところから生じているのではないか。もちろん「話す」「伝える」という行為は、コミュニケーションの確固たる一部なんだけど、順序はあくまでも「聴くこと」からだと思う。相手を理解してから、自分を理解してもらう。全ての人間関係の要諦だと思うんだけど。そこにこそ「しあわせの鍵」が隠されているような気がするんだけど、どうでしょうか?

最後はやや堅くなりましたが、村上さんのQ&Aのコーナーでした。