初恋–「人間交差点」より

漫画でBlogのコーナー! 今回も短編漫画をネタに、Blog書いてみます。「人間交差点」(矢島正雄+弘兼憲史作)から「初恋」という短編を選んでみる。まずはあらすじから。

暴力団の組長、角田明は、ある時ふと中学時代の初恋の相手に逢いたくなった。捜し屋の仕事で、拍子抜けするほど簡単に、30年前の初恋の人は見つかる。「今井涼子」というその女は45歳で、現在は子供二人、夫は普通のサラリーマン。要するに平凡な主婦に収まっていた。角田は、直接今井涼子を「視察」にいく。車中で角田曰く「不思議だ・・何も感じない。驚くほど何も感じない」と。角田は車を降りて、マンションのベランダで洗濯物を干す涼子に近づく。一瞬目が合うが、それだけ。何も起こらない。

それから一ヶ月後、暴力団同士の抗争から銃撃を受け、瀕死の重傷を負って病院に横たわる角田。曰く「彼女は・・あのひとは・・変わってなかった。ちっとも変わっちゃいなかった。30年以上経っているのに、やっぱりあいつは眩しかったぜ」と。捜し屋曰く「それはあんただよ・・ あんたが捜していたのは、初恋の相手じゃなく、胸が苦しくなるぐらい人を好きになっていた、あんた自身の姿だよ」と。角田は一瞬ハッとなるが「笑わせんなよ・・ヤー公が笑顔で死んでいっちゃ、世間に義理が立たねえ」その直後、角田は息を引き取る。葬儀のシーンと最後の「初恋抱きしめて 命ひとつ終わる・・」という言葉で幕引き。

こんな風に言葉であらすじを書いただけでは、本作の「味わい」が全然伝わらない。困ったもんだ。ところで、初恋って何だろう?「誰もが人生の初期に経験する、甘く苦しいある種の混乱」・・こうした定義はどうだろうか? その「精神的な混乱」は千差万別だろうけど、共通する事項として、自身の純粋さがある。もちろん「純粋」といっても、弱さ、不器用さ、自制のなさ、ステレオタイプといった、ネガティブな要素も含む。10代とは、そうした本当に不安定な季節なのだ。でも、その時に抱く「人に恋する」という感情は、当たり前だけど40代には味わえない。

作中の角田は45歳。暴力団の組長として、欲しい物は奪い、そのための代償として血を流してきた。人も二人殺し、人生の半分近くを刑務所で暮らした。今でこそ外面は紳士として振る舞っているが、若い頃はひどかった。そんな「獣」の内面を秘めた男が、初恋の相手に逢いたいと思った。

人間年をとると「賢くなる」という。年配のオッサンが「人生の先輩として言っておくが」というやつだ。しかし「賢くなった」反面、確かに失ったものもある。大人になるという事は「生きていく上での無駄」をどんどん捨てていくことに他ならない。獣のように自分の体を穢す事の出来る人は、すぐに大人なれるだろう。そういう意味では角田は「立派な大人」である。その男が、初恋の相手に逢いたいと思った。

捜し屋の「あんたが捜していたのは、胸が苦しくなるくらい人を好きになっていた、あんた自身の姿だよ」という言葉。この言葉は、本作のキモである。角田が逢いたかったのは、青春時代のあの自分の「不完全さ」だったのだ・・ なんだか、理屈っぽいですね。お口直しに、こんな昔のうたはどうでしょう?



まるちょうにとって、初恋ってなんだろう? 甘いというより苦い。とても愚かで不完全だった。今から思うと失笑ものだ。でもみんな大同小異なんじゃないの? 私は角田ほど大人でないし、純粋さを放棄もしていない。人生は愚劣で結構というポリシーだし。だからというか、角田みたいに感傷的な欲求はそれほどない。でも、角田みたいに青春を放棄した人間には「手放したからこそ、愛おしい」という深層心理があるのかもしれない。次の引用で締めくくります。

「僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指には何も触れなかった。その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった」(村上春樹 螢より)