夫婦間の距離について



「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>B型、獅子座、28歳の専業主婦です。結婚二年目で、夫は29歳のサラリーマンです。九ヶ月になる娘が一人います。結婚して最初の八ヶ月ほどは本当に幸せでした。喧嘩もしたけど、幸せでした。あの頃の私は夫だけを見つめ、夫の事を100%信じていました。夫も今以上に私を求め、必要としてくれていたように思います。今でも夫の事は好きなのですが、だから余計につらくなるし、時には夫の事を憎く感じる事すらあります。夫に強く抱きしめられたいと思う瞬間もあり、また次の瞬間には夫に触れたくもないと感じてしまう。自分で自分の感情を持て余しています。一体私の幸せはどこにあるのでしょう。


<村上さんの回答>あなたの気持ちはよくわかりますが、これはたいへんむずかしい問題です。夫婦というのはひとつひとつが別個のケースであって、そんなに簡単に一般論にはくくってしまえないからです。世の中ではそれぞれの夫婦がそれぞれの「ややこしさ」を抱えて生きているのです。でもその「ややこしさ」は、僕らの中にもともと内蔵されてきたものが、「夫」なり「妻」なりという密接な他者とのかかわりによって、露になってきたに過ぎないという場合がけっこう多いのです。

新婚生活の幸福というのは、ある意味で幻想であり、幻想が消えたというのは、言い換えればそれだけあなたが成熟し、現実を現実として見られるようになったということです。成熟するというのは(あるいは成熟しなくてはならないというのは)、かなり辛いことです。夫に不満があるのはよくわかりますが、まずはあなたがその成熟の重みに慣れることが大事なような気がします。

<まるちょうの考察>とても重いテーマです。質問者も村上さんも急所はぼかしているが、やはり「夫の不徳」という可能性は捨てられないだろう。しかし「夫の浮気」が問題としても、その取り扱いについては、まさに千差万別なのであり「一般論でくくれない」と思う。あるいは、そうした「不徳」ではないのかもしれないし。

一般論として、夫婦生活が長くなればなるほど、夫婦間の距離は長くなる。新婚生活を幻想と言い切るのは、かなりハードボイルド・タッチなんだけど、ある意味で真実である。でも、夫婦がお互いを見つめて、相手のことを思いやり、気遣うこと。これは何歳になっても必要なことです。むしろ、結婚生活が長くなればなるほど必要かもしれない。

あの頃の私は夫だけを見つめ、夫のことを100%信じていました。

夫も今以上に私を求め、必要としてくれていたように思います。
100という数字が、次第に小さくなる。これは結婚生活の真実である。でも、いくらなんでも100という完璧さは、夫を苦しめるのではないか? 結婚生活に潔癖性をあまりにも持ち込みすぎると、概してよい結果は得られないように思う。小さな猜疑心を持つけど「ちょっと泳がしたろか」ぐらいの寛容さ、心の余裕があった方がいいんじゃないか。潔癖さは、幻滅を生みだすだけです。村上さんが「成熟の重みに慣れること」と表現していいるように、この質問者の精神性は、まだかなり若い。別な言い方すると「青い」。人生は思った以上にグレーなんだよ。人生とは、そのまどろっこしい「グレー」に慣れる作業に他ならない。

一番重要なポイントは「今でも夫のことは好き」という一点に尽きる。突き詰めて考えると、だからこそ悩み苦しむのだ。「我思う、ゆえに我あり」じゃないけど、「自分の幸せはどこにあるのだろう?」と悩み苦しむ原点は、夫への愛なのです。ここを絶対に忘れてはならない。どうやって折り合いをつけていくか、苦しいけど、それが「大人への階段」なんだろう。世界中の悩める「青き」奥様たちに、次のうたを贈ります。

セロリ(山崎まさよし作)



このうたのように、あまり重くなりすぎず、たおやかに毎日を過ごせたらよいなぁ。生活を「積み重ねる」ことによって、答えは必ず見えてくるはずだから。

以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。