For No One+When I’m Sixty-Four

久々にBeatlesを語るコーナー! もうそろそろ、この「誰にも相手にされなくなっている」コーナーに見切りをつけたいと思っています。そこで今回から「寄り道せずに」好きな曲をストレートにやっつけていきたい。つまり、まるちょうが心の奥底で温めているやつを、どんどん出していきたい。今回は「For No One」と「When I’m Sixty-Four」を取り上げる。

まず「For No One」から。



ポールの作品。この哀愁のある曲調が、まるちょうのお気に入り。去りゆく彼女を想い、悲しみに暮れる男のうた。こうしたバラードは、ポールの得意とするところ。フレンチ・ホルンのソロが優しく挿入されていて、哀愁を醸し出している。


この曲でまるちょうが連想するのは、ずばりミスチルの「Over」。



歌詞の内容から曲調まで、とても共通する点が多いように思うんだけど。ふられた男があーだこーだと嘆く。その胸の痛み。何も語らない瞳って、切ないよね。

And in her eyes you see nothing

No sign of love behind the tears cried for no one

A love that should have lasted years

何も語らない君の瞳の奥に愛を探しても

言葉が足りない そうぼやいてた君をふっと思い出す

ただ一点、男性の最後の姿勢が異なる。ポールは「彼女をいつまでも忘れない」と結ぶけど、桜井くんは「たぶん僕は忘れてしまうだろう、その温もりを」とする。つまり、ポールはロマンチスト、桜井くんはリアリスト。どっちがどう、というわけじゃないけど(笑)。

次に「When I’m Sixty-Four」



これもポールの作品。要するに64歳になっても夫婦仲良くしようね、といううたです。優しい曲調が好きで、気になっていた曲なんだけど、歌詞を調べてみて驚いた。

Will you still need me, will you still feed me

When I’m sixty-four
まるちょう的には「feed」に注目したい。これ「精神的に満足させる」という意味かと思っていたら、違うようだ。もっと直截的に「食べ物を口に運ぶ」つまり「あーんして」というやつ。これって若干面白おかしく作っているんだろうけど、ちょっと甘すぎる。64歳で「はい、あーんして~」だとぅ?(▼▼メ) ざけんなよ!(笑) ポールがこれ作ったのが25歳。やはり「人生の見方が青い」との謗りは免れないだろう。Wikiによると、実際ポールは06年に64歳になったんだけど、その誕生日の直前に離婚している。人生とは皮肉で辛くてハードボイルドなのだ。やれやれ。

「feed」という行為をしかと示している映像があったので、載っけておく。個人的には「feed」されるようになったら、男はおしまいである。欧米では、こういう価値観って普通なんだろうか? ちょっと疑問に思ったのでした。

以上「Beatlesを語る」のコーナーでした。