婚家の人々・・「家族の食卓」から

漫画でBlogのコーナー! 今回は「家族の食卓1」(柴門ふみ作)からお気に入りの短編漫画を選んで、Blog書いてみる。本作の中のどの作品も愛着はあるんだけど、一番印象的なのは「婚家の人々」。いつも読む度に、不思議と感動してしまう。まず、あらすじから記す。

大手広告代理店に勤める直人と、コンパニオンガールの知香子は、あるパーティーで知り合った。学歴、顔、スタイル、家柄・・申し分のない彼との婚約に、知香子は幸福の絶頂にいた。結納をすませたのち、知香子は彼の実家に正式に挨拶に出向く。彼の両親はもとより、祖母や妹たちはもみな、朗らかに婚約を喜ぶ。しかし・・88歳になる祖父は、我関せずといった感じの冷淡なまなざし。知香子が「あの、おじいさまって、今、何が一番の楽しみでらっしゃいます?」と訊くと、「今はもう楽しいことなどなんもない」とのそっけない返事。直人曰く「じいさん、もう半分ボケてて、ときどき独りでわけもなく電車に乗ったりして、大変なんだ」と。

さて結婚生活は結局、4年でピリオド。すれ違い生活と、直人の女性関係が離婚の原因。現在、知香子は3歳の娘を昼間、保育所に預けて働いている。フルタイムのワープロ・オペレーターの仕事は相当にきつい。離婚が決まったとたん、彼の実家の面々は手のひらを返したような冷たい態度をとった。棘のある様々な言葉が、知香子の脳裏に刻み込まれている。



娘と満員電車に乗り帰路につく。「ママ、すわりたい、すわるー!」だだをこねる娘。電車内で偶然、直人の祖父が椅子に座っているのに気付く。目が合って、お互いに気付く二人。祖父は「すわんなさい」と席を譲る。娘が座ろうとすると、杖でビシッと娘の手を叩いてたしなめる。その瞬間「手のひらを返した婚家」のことを思い出す知香子。しかし、その次の瞬間に祖父から出てきた言葉は「子供じゃない! あんたがすわんなさい。疲れてるのは、あんたの方じゃろ」。そしてラストのコマ。知香子は椅子に座り、いぶかしがる娘の傍らで、涙を流し続けるのだった。

離婚した後って婚家の人々は、普通は「手のひらを返すような」冷たい態度をとるのが一般である。そりゃもう、完全に他人なんだから。あるいは子供を引き取ったりした場合には、冷淡を通り越して「憎しみ」さえ生まれる。直人の母や祖母、妹はこんな風に言っている。「知香子さんてウチの家には合わないと思ってたのよ」「なんかケバーイってかんじよね」「男好きする感じだし、何やってたもんだか・・」等々。直人の母は、こうも言っている。「別れる? アッちゃんは知香子さんが連れてくって? じゃあ、直人は新しいお嫁さんに、もっとかわいい子産んでもらいなさいよ」

離婚して子供を引き取った女性というのは、こうした「心の痣(あざ)」を持ってるんじゃないかな? 経済的にも心理的にも、辛い状況に落ち込まざるを得ない。知香子は、そうした女性を象徴する存在だろう。「泣きたくても泣けない」自分がいる。精神的にも身体的にも疲れ果てて、でも、泣くことも許されない。泣いたって、何も解決しないから。

そこへ、例の「少しボケた」祖父の登場である。結納のとき、妙に冷淡だったのに、電車の中で、知香子に優しい声をかける。「疲れてるのは、あんたの方じゃろ」と。これって「泣いていいんだよ」と同義だよね。このおじいさんは、知香子よりも数十倍の回数の喜びと悲しみを繰り返し味わって生きてきたのだろう。「今はもう、楽しいことなどなんもないわ」という一言が、ここで活きてくる。まるちょうは、このおじいさんに「男」を感じるんだな。厭世的だけど、人の心の痛みが理解できる老人。寡黙で取っつきにくくて、変人だけど、透徹した心を持ち、真理を読み取れる人。柴門さんの、こうした粋な配役が好きです。まるちょうは「泣いていいよ」と言える人になりたい。そういう意味で、このおじいさんは、まるちょうの理想です。

以上、漫画でBlogのコーナーでした。