ダンス・ダンス・ダンス(3)/村上春樹

引き続き「ダンス×3」について語る。最後は「『僕』のアイデンティティ」というお題で。冒頭で「僕」の現状が語られる。時は1983年の初春。四年半前、29歳で離婚し、友を失い、得体の知れない事件に巻き込まれた。これらの出来事は「僕」にとって、結局何だったんだろう? 青春の終わりとも言えるし、あまりの変革の凄さについて行けなかったとも言える。とにかくそうして「僕」は、自己の平衡性を失った。

それは言い換えると「死の淵」だったとも言える。生きている意味が理解できないんだから。誰をも真剣に愛することができず、何を求めているのかも分からない。何処にも行けないまま、年をとるという不安感。何かを愛するという「心の震え」を失ってしまった。ひとことで言うと「アイデンティティの喪失」。


しかし、本作は「羊をめぐる冒険」のようにシニカルな終わり方ではない。ちゃんとハッピーエンドだ。ホテルの精であるユミヨシさんと結ばれて、彼のアイデンティティは回復する。そのオリエンテーションをつけてくれるのが「羊男」である。ところで、私は「羊男」の独特の雰囲気が好きだ。違和感は確かにあるのに、妙に私たちの心のどこかに住みついていそうな風情がある。さて「羊男」は、以下のようなアドバイスを「僕」に贈る。

「踊るんだよ。音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度停まったら、もうおいらにはなんともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。(中略)どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。(以下略)」

この助言は、人生訓として素晴らしいと思う。頭で考えてばかりでは、何処へも行くことはできない。つまらないと思えても、自分のステップを信じて踊り続けること。そうすれば、絡み合った様々の事象はほどけて、光が見えてくるかもしれない。

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。
本作は「僕」が自分のアイデンティティを回復するために、いかに踊ったかということだ。だからこそ「ダンス・ダンス・ダンス」なのだ。その過程で、五反田くんやユキ、アメ、タフな刑事たち、その他諸々の人物たちとの絡みがある。思うに、村上さんは読者にも踊ってもらうことを意図していたんじゃないか? ポップスのように感じられたというのは、その辺のことと関連があるように思われる。とてもノリのよい文体だと思うんだけど。

最後に、まるちょうも上手にステップを踏みたい。不完全で馬鹿で失敗ばかりだけど、自分のステップを信じて、前に進んで行きたいと思う。自分の信じたステップを、とにかく続けること。愚直でいい、とことん続けること。そうすれば、何かが見えてくるような気がする。まぁ、そんな教訓めいたことを抜きにしても、充分に楽しめる作品でした。

以上、「ダンス×3」について三回にわたり語りました。