ハッピーバースデー/青木和雄、吉富多美

ハッピーバースデー」(青木和雄、吉富多美共著)を読んだ。これはお蝶夫人♪の蔵書。軽い読み物を探していたので、この本がちょうどよかった。分量としては確かに軽いけど、取り扱うテーマはとても重いです。もともと児童書として97年に刊行されたものが、圧倒的な子供の支持を得て、オリジナル版に大幅に加筆修正して文芸書として05年に刊行された。本書の表紙カバーに記された紹介文を記しておく。

「ああ、あすかなんて、本当に生まなきゃよかったなあ」自分の思い通りに成長した長男に比べ、できの悪い娘あすかに容赦ない言葉を浴びせる母静代。しかし静代の見せかけの鎧は、職場の年若い上司なつきによって徐々に剥がされていく。愛に飢え、愛を求めて彷徨う母娘の再生の物語。



「この子を生まなければ、もっと幸せだったはず」・・こうしたネガティブな感情を抱く親って、どれくらいいるんだろうか? この感情は倫理的にはタブーだと思うんだけど、深層心理学的には全然「あり」の感情だろうと思う。まるちょう的には、どんな親も無意識の中にはこうした現実を否定するベクトルが、むしろ普通に存在すると思っている。無意識の中に漂うこうした「負の感情」が、まっとうな自我により抑圧されるか、未熟な自我により現実の行動となって表出するかが、分水嶺となるわけ。後者の行き着く先は、言うまでもなく「虐待」ですね。

作者の吉富さんは「あとがき」のなかで、以下のように記している。

ゆるやかな虐待といわれる心理的虐待は、どこの家庭にも潜んでいる見えない棘なのではないかと思います。静代もそれと気付かないままに二人の子どもたちへ心理的虐待を繰り返していました。

ここで「心理的虐待」という言葉を考えて欲しい。「私は関係ない」とすぐにそっぽを向く人は、まるちょう的には信頼できない。「私の場合はどうだろうか?」と深く自分を顧みる人は、とても信頼できると思う。

具体的に言うと「親の思う通りに子どもが従わないときに加える叱咤激励」。これが純粋に子どもの利益を考えてなされている場合は問題ない。親の利益を考えている場合を「心理的虐待」と呼ぶ。まるちょう的に言うと、こんな感じの定義だろうか。

主人公あすかは祖父母の下で静養し、心因性の失語症から立ち直り、積極的で明るい性格へと変わっていく。兄の直人と桜並木の通りを歩く次の会話が一番好き。

「人って変われるもんなんだな」あすかに聞こえるように、直人は大きな声でいった。「当たり前でしょ」迷いもなくあすかは答えた。首を傾げて直人をじっと見つめている。「じいちゃんがいってたもん。何時だって、何処でだって、その気になりさえすれば人は変われるって」にっこり笑って「お兄ちゃんはそのために勉強しているんでしょ。そうでしょ。人は変わるために学ぶんだよね」

あすかちゃんは祖父母の愛情の下でしっかり蘇ったんだけど、現実的にはみんながみんなそうハッピーエンドというわけではない。虐待で死ぬ子どもだっている。本書は虐待の他にも、不登校、差別、いじめ、命と死などのシリアスなテーマに触れて書かれている。やり切れない事件が日々起こる現実。本書が、少しでも親と子どもの意識を変えれればよいなぁ、と心から思う次第です。

以上、「ハッピーバースデー」について語りました。