著作権(1)

お題を決めて語るコーナー! 今回から二回にわたり「著作権」というテーマでいろいろ考えてみたい。以前から「まるろぐ@2/7」の中で、音楽データや漫画の画像などをアップすることがあり、「著作権的にまずいかな~?」と思っていた。Blogを始めたのが三年前であり、相当長い間「臭いものに蓋をする」的な姿勢だったわけだが、さすがにそろそろちゃんと勉強すべきだと思うようになった。理論武装じゃないけど、やはりある程度は「著作権」というものに関して知識がないと、恥ずかしいと思ったわけ。

そこで「著作権とは何か」(福井健策著)という新書を読んでみた。新書って読み易いね~。堅いタイトルなので、買ってから放っていたのだが、わりとすいすい読めた。著者は弁護士で、難しい法律論をいくつか事例を挙げながら、分かり易く噛み砕いて説明している。要するに「著作権に関するエッセンス」ね。


本題に入る前に著作権に関する雑学をいくつか。

#1 コピーライト(C)の表示は必要か?

#2 登録は必要か?

#3 著作権の保護期間


まず#1から。必要でない。日本は古くからベルヌ条約という著作権保護の国際的な条約に加盟しており、条約の規定に従い、著作権表示がなくても著作物を創作すれば当然に著作権は守られる。

次に#2。必要でない。登録制度も確かにあり、文化庁の著作権課で登録可能。ただし一般的には、登録は著作権が守られるための条件ではない。登録しておいた方が安全な場合もあるという程度。

最後に#3。原則は「著作者の死亡の翌年から50年後」で著作権の保護期間は切れる。仮に30歳で作品を創作した作家が80歳まで生きたとしたら、生前50年プラス死後50年で実に100年間である。

その他面白かったのは、かの有名なシェイクスビアが「翻案」の名手だったこと。例えば「ロミオとジュリエット」には、ストーリーが極めてよく似た種本がある。アーサー・ブルックという作家の「ロミアスとジュリエットの悲劇物語」という長大な詩物語。しかし、このブルックの詩にも種本があって、イタリアのマッテオ・バンデッロという人物が書いた散文物語をブルックが移植したのだ。しかししかし、バンデッロにもまた種本があって・・などと、きりがない。ただ、福井さんはこう語る。

オリジナリティというものは決して分量だけで計れるものではない。わずかな違いのなかに、決定的なオリジナルな工夫が隠されていることもあるだろう。「ロミオとジュリエット」はやはり、シェイクスビアの「最後のワンタッチ」によって時代を画する独創性を獲得したのだ。



さて本題に入る。まずは著作権法第一条を掲載する。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。

ここで大事なのが「著作権の存在理由」です。福井さんは、ふたつ挙げている。

※著作権者の権利の保護

自分が創作した作品について勝手に真似されたり、利用されないように。もっと具体的にいうと、海賊版や盗作を許さないということ。これは当然の権利といえるだろう。一方、

※文化の発展に寄与すること

も大事な目的だと謳っている。つまり、著作権法とは文化振興法なのだ。人々がよい作品を作りやすい環境を整えて、われわれの社会で芸術文化が活き活きと息づくための土台を作る。だから逆に著作権法のために、自由な表現活動を制限されるようでは、本末転倒という見方もでてくる。

上記のふたつの存在理由の間で、いかにバランスをとるかが重要な鍵となる。そうしたことを踏まえて、次回は「まるろぐ」の中で著作権をどのように捉えるべきか考えてみたい。