自由に生きるとは?

「村上さんのQ&A」のコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から、質疑応答を抜粋して考察してみる。

<質問>私は20歳の就職したくない(できない?)短大生です。私が村上さんの小説を読んでいていつも、登場人物がそれぞれ深い問題を抱えていても、どこか「自由に」生きているような気がしてうらやましいと思います。いつか私もそういう素敵な大人になりたいですが、そのためにはどうしたらいいでしょうか。

<村上さんの回答>登場人物だけでなく、「自由に生きる」というのは、僕にとっても大事なことです。でも自由に生きるということは、簡単ではありません。というか、ほとんど不可能に見えるときが多いです。好きなだけ時間があって、なんでも自由にできても、だから自由に生きられるかというと、そんなことないですよね。必要なことは、自分の中に「これが私にとっていちばん大事なんだ」と思える何かを結晶させていくことです。そしてそれを護っていくことです。


<まるちょうの考察>まるちょうが本当に自由を感じたのは、結婚してからです。結婚してから「いちばん大事なこと」が見えてきた。それまでは片目が開いていなかった。30代後半まで片目だなんて!

「これだけは譲れない」というこだわりがあると、比較的生き易いのかもしれない。自分が譲れないと思う対象に、エネルギーを集中できるから。でも「あれもこれも」と思っているうちは、自由でないわけです。つまり、対象を限定する必要がある。村上さんの言う「結晶」ですね。「結晶」という言葉は言い得て妙というか、的を得た表現だと思う。力ずくで限定するのではなく、じっと待つんだね。結晶ができるまで、じっと。焦ってはいけないんだと思う。

まるちょうは思うんだけど、「いちばん大事なこと」があるから自由になれる。逆に言うと、自由な時って「いちばん大事なこと」に束縛されているんだよね。本当の自由は束縛が根底にないとダメ。流れ流されて生きるのが自由ではない。私が結婚して自由を感じたというのも、そのへんに理由があるのだろう。束縛されて初めてアイデンティティは定まり、自由を感じることができる。面白いものですね(笑)。

さて、自由を感じられたら「ひゅるる~」とどこかへ飛んでいってしまってはいけない。村上さんが言う通り「護る」ことが必須。「いちばん大事なこと」に大いに感謝して、護り育むこと。「自由」とは、そんなものだとまるちょうは思っています。

以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。