Dr.コトー診療所2006

昨年末に、ドラマ「Dr.コトー診療所2006」が終了した。その最終話の中で、とても印象に残るシーンがあったので、紹介しておく。

今シーズンでは、島の看護師の星野彩香が乳ガンに冒される。彩香はコトーにとって、とても大切な存在。初めは東京の大学病院の専門医、鳴海医師が執刀するはずだったが、紆余曲折あり、コトーが執刀することに。その術中に、普段のコトーなら沈着冷静に対処できるはずのトラブルに、明らかな動揺が現れる。そこでの鳴海医師の発言が興味深い。

「目の前の患者が、星野さんであることを忘れろ!」
その後、我に返ったコトーは医師の表情に変わる。オペは無事終了するが、コトーは放心状態。そこに現れた鳴海医師の言葉が鋭くコトーの胸をえぐる。


「優秀な外科医は心を持ってはいけない。人の命を救うということは、本来人間が踏み込んではいけない領域に足を踏み入れることだ。そこに感情が存在したとき、医者は大きな間違いを起こす。医者は患者と家族にはなれない。なってはいけない!」
実は、鳴海医師は過去に自分の妻を執刀し、結局寝たきり(あるいは植物?)の状態になったという深い心の傷を負っていた。患者と距離が近いほど、医師は平静を失うことがある。鳴海医師は、その真実を身をもって体験していたのだ。島民と家族のように接しながら診療を続けるコトーと鳴海医師と、どちらが正しいのか? この命題は医療者にとって、とても普遍的な意味合いを孕んでいる。

私が医師になって四年目くらいの時、たまたま父親の胃カメラ検査を担当する機会があった。自分の父親だからという感じで何気なく引き受けたんだけど、すごいプレッシャーでひどく疲れた覚えがある。それが生死に関わる外科手術となると、途方もないストレスだろう。愛すれば愛するほど、そうなるはずだ。だから、鳴海医師の言い分も分かるし、ある意味で正しい。しかし、患者を単なる他人と割り切ってしまうと、医療はとてもつまらなくなると思う。医療を単なるビジネスと捉えるなら、別だけど。

医療者として患者の気持ちに共感すること・・これはとても大切。しかし、時にそれが正確な判断を鈍らすことがある。そういう意味では、医療者は常に心のどこかで「ニュートラルな」部分をしっかりと保持しなければならない。要するにバランスね。患者さんと一定の距離を保つ努力をすること。近づきすぎても遠ざかりすぎてもよくない。これは取りも直さず、患者さんの利益のためである。医療者は、そういった矛盾の中で仕事をしている。そういう宿命なのだ。

優れた医療者とは、その「宿命的な矛盾」を常に意識できる人だろうと思う。更に加えるなら、そのせめぎ合いを長年保つことができるかどうか。中庸を長年保つことは至難の業だから。コトーは、そのせめぎ合いに挑戦する人だ。まるちょうは? もっともっと精神的に強くならなければと思う。だからこそ「不惑」は、私にとって象徴的な言葉なのです。まだまだ、これからです。