富山延命措置中止事件

時事問題を語るコーナー! 今回のテーマは「富山延命措置中止事件」を取り上げます。やっぱ、時事問題は迅速に反応しないとね。長浜事件は、反応が遅すぎた。

ことの顛末をざっと述べる。富山県射水市の市民病院において、外科部長(50)が患者7人に対し、延命措置の中止をして死亡させた。具体的には、人工呼吸器が必要な呼吸不全状態の患者から呼吸器を取り外した疑い。ただし、患者はいずれも意識のない状態で、治癒の見込みはなかったとされる。


このケースは、1995年の横浜地裁が示した「消極的安楽死」にあたると思う。つまり、薬剤投与などで意図的に死を招くのではなく、生命維持に必要な人工呼吸器を外すことにより、延命治療を中止すること。この場合に重要なポイントはふたつ。

1)患者に回復の見込みがなく死が避けられない

2)治療の中止を求める患者の意思表示がある(家族の意思表示でも可)


このケースでは、どちらも曖昧さが残る。なぜ曖昧かというと、外科部長の独断があちこちに散見されるゆえ、キチッとした手続きを踏んでいないからだ。具体的には、文書の形で、安楽死の意思表示や実際の説明の内容などが残っていないことである。

人の生き死にを扱う場合、こうした曖昧性というのは、とても問題になる。この外科部長先生は、まず間違いなく患者とその家族のためを思って、善意から呼吸器を取り外したと思う。少なくとも「殺人」という意識はなかっただろう。しかし「延命中止」という重い判断を下すためには、それ相応の厳格性が必要だったはず。それがプロの仕事です。

実際の医療に携わってみると「楽に死なせてあげた方が本当の善意なのでは?」と思えるような患者さんを目の当たりにすることも、全然珍しくない。でも、そういったケースでも、医師がその人の生死を勝手に操作する権利はないわけです。「患者を死なせてあげる」という行為は、医師にとってとても僭越だと思う。だから、独断は断じて許されないのだ。

他の安楽死や延命措置中止の是非が問われたケースでは、今のところ実刑はないようだ。このケースでも、おそらく重くても執行猶予付きの有罪だろう。一番のポイントは、家族との意思疎通だろうな。家族がちゃんと納得できれば、不起訴になる可能性も大いにある。

最後に、まるちょう自身は、安楽死という選択枝は患者のために「あってもよい」と考えています。ただし、実際にはしっかりした法整備が必要だし、現場のストレスも苛酷なものになるだろう。でも結局は「苦しむ患者のため」ならば、あえて検討すべき課題だと思う。以上、富山の延命措置中止事件に関して語ってみました。