恩師訪問

去る23日に、舞鶴の恩師を訪問してきた。毎年恒例の行事なのだが、改めてその恩師を紹介すると、小学一年生の時の担任で御年86歳の女性。1997年まで、年賀状だけのお付き合いだった。それが、ひょんなことで私が30歳の時に24年ぶりに再会を果たし、以後毎年春に先生宅を訪れる習わしになっている。

去年などは引っ越し作業が落ち着いた五月に訪問したのだが、ツメツメのスケジュールで、かなりきつかった。今年はちょっと工夫して、比較的仕事が暇な三月に訪問することにした。22日は午前のみの勤務だったので、勤務終了後、JRにて舞鶴へ。その日はホテルに泊まり、23日の朝イチで先生宅訪問。約三時間くらい、楽しくおしゃべりした。


何を語り合ったかなぁ? もちろん、まずはお互いの近況から。先生の体調が一番心配だったけど、それほど変わりないようだった。とても知的な人で、頭の回転は全然86歳じゃない。その相変わらずの若々しさに、ちょっと安堵した。

しかし、会話の端々に行く末の不安みたいなものを感じたのも確か。86歳というのは、つまりそういう年齢なんだね。仲良くしていた人が、普通に亡くなっていく。あるいは、大病をして、健康な生活が送れなくなる人もいる。そういうのを耳にされると、いてもたってもいられなくなるのは、やばり人情だろう。39歳の私に、そういう切羽詰まった感情は完全には理解できない。だって、先生とは「死」への距離感が全然違うから。でも可能な限り、そういった寂寞とした不安感に寄り添うように会話した。結局、私にできることといったら、その程度だ。できるだけ聞き役に回って、微笑んでうなずく。「大丈夫ですよ、大丈夫」

この恒例の訪問は、いつまで続くんだろう? もちろん、永遠に続くことはあり得ない。でも、先生とおしゃべりしていると、そういった変化がやってくることが、信じられない。でも・・いつかは、そういった時が来るんだろうなぁ。「無常」って、いけずだと思う。私にできることは、こうして毎年先生宅を訪問して、楽しくおしゃべりすること。もちろん、スケジュール的にも大変なんだけど、これはもう「乗りかかった船」である。万難を排して、毎年春に先生に逢いに行こうと思う。

先生にひとつだけアドバイスした。それは・・体を動かすこと。話を聞いていると、明らかに運動不足だったので。私も昨年からヨーガとかジム通いなどするようになり、気持ちいい汗をかく重要性を身をもって感じたから。先生の場合は、散歩がいいだろう。もちろん、転倒などに気をつけて無理のないように。そうすれば、健やかな100歳は全然可能だろうと思う。超高齢の人にとって、毎年健やかに歳を重ねるのは、ある意味挑戦であり闘いである。先生、頑張って下さいね。また来年参ります♪