バカの壁/養老孟司

「バカの壁」(養老孟司著)を読んだ。ひと頃、話題になった本だ。読後まず思ったことは「いいこと書いてあるけど、やや散漫な感じ」。まえがきに記されているとおり、この本は養老さんが書いた本ではない。彼が口述したことを、編集部の人が文章化したものだ。この方法論ってどうなんだろうね? 言いたいことはある程度伝わるけど、ただそれだけ。文章が練れていないので、細部に物足りなさを感じる。そして、論点がやや不明瞭。要するに、文章で感動できる本ではないです。


口述筆記という決定的な欠点に目をつぶって、養老さんの言いたかったことを考えてみる。まるちょうの考えでは「バカの壁」の「バカ」とは、いわゆる「知能の低さ」を指しているのではなく、「コミュニケーションができないこと」を指している。コミュニケーションをする場合に、立ちはだかる「壁」のことです。人と人の衝突や紛争などは、全てこの「壁」から生じる。分かり合えたら、ぶつかり合わないから。だから、この「壁」について、ちょっと考えてみようよ、というのが主題です。

まるちょうがなるほどと思ったのは「情報は日々刻々と変化しつづけ、それを受け止める人間の方は変化しない」というのは、正しいようで間違っているということ。実際は「情報は不変で人間が変わる」のだ。このあべこべの認識が、現代社会の病根である。本当は、常に変化して生老病死を抱えているのに「自分は自分」と自己同一性を主張する。そうして、自分自身が不変の情報と化してしまう。これが「情報化社会」の本質である。

「自分は自分」・・これを追求すると、結局「バカの壁」が屹立する事になっちゃう。だから、養老さんは「個性的であれ」なんて必要ない言葉とおっしゃる。個性なんてものは、現代社会においては無理に作り出すものではない。むしろ現代人に必要なのは「共通理解」である。ちゃんと他人のことを分かろうよ、ということ。そうして「バカの壁」の弊害を少しでも減らそうということです。社会は「共通性」の上に成り立っているんだからね。

ひとつ補足。「情報が不変」というのはどういう事か? まるちょうが考えるに、高度情報化社会では、あまりにも雑多な情報が多すぎて、あたかも「情報は日々刻々と変化する」ように見える。しかし、本当に必要な情報というのは、変化していないはずです。そこの見極めだろうね。自分にとって不変の情報は、むしろ隠されている。そういったものを、ちゃんと認識して大切にできるかどうか 。自己同一性を確立するためには、これってかなり大事だと思うけどね。

最後に、人が人を分かり合えるって素晴らしいこと。また、人が個性的に生きられるのも、素晴らしい。要するにバランスです。現代は後者に傾いているので「共通理解」を前面に出す。養老さんのご意見は、やっぱり正しいんだろうな。読後感はイマイチだったけど、いろいろ考えさせられる本でした♪