グレート・ギャツビー/フィツジェラルド

「グレート・ギャツビー」(フィツジェラルド著)を読んだ。これを読んだのは「ノルウェイの森」の主人公ワタナベくんの愛読書で、かつその作者である村上春樹の愛読書だから。そんなにいいものなのかな?と、ちょっと好奇心が湧いたというわけ。読後の素直な感想は「文学だなぁ」。当たり前か(苦笑)。とにかく、描写がとてもソフィスティケートされていて、品がある。ステレオタイプという言葉の対極なんだな、これが。ワタナベくんは、これを三回通して読んだというが、三回通して読めれば、相当教養になるだろう。私も、数年後くらいに気が向けば再読したいと思う。


この作品の切り口って、いろいろあるんだろうけど、私はこう考えてみたい。一つの大きな筋は、主人公のジェイ・ギャツビーが、トム・ビュキャナンから、その妻ディズィを奪えるかどうかということ。ギャツビーとディズィは過去に深く愛し合ったいきさつがある。その後、ギャツビーは入隊して戦地に赴き、ディズィの前からいなくなってしまう。そんな中、トムがディズィの前に現れ、愛し合うようになり、結婚して子供もできる。しかし、トムは一人の女を愛し抜けるキャラではない。そんな自分の旦那に愛想を尽かしているディズィの前に、自分の腕一本で財をなしたギャツビーが現れる。当然の如く、ギャツビーとディズィは恋に落ちるが・・ ストーリーとしては、単純なハッピーエンドではなく、トムの奸計によるギャツビー殺害にて、元の鞘に収まる。まるちょう的には、なんだか消化不良だった。まぁ、その辺が文学なんだけどね。

ギャツビーとトムは、ある意味で正反対である。裸一貫からのし上がった成金で、頭脳明晰なギャツビーと、家が超裕福で傲慢なトム。以前Blogで語った「落とす、落とされる」というタイプが、まさにトムなわけです。つまり、ゲームとしてしか女性を愛せないタイプね。なぜなら、ディズィという美人の妻がいながら、しっかりとマートルという女性と浮気している。それに対してギャツビーは、ちゃんと「育む愛」を持ったキャラです。一つの愛(ディズィとの隠された愛)を、大事に育んでいくタイプ。要するに、コツコツと積み上げるのが得意な人です。こういうタイプは、まず浮気はしません。

まるちょうとしては、もちろん後者の方が好みなので、ギャツビーとディズィがくっついて、めでたしめでたしとなった方が、なんかスッキリしたのだが・・ 結局、ディズィにもギャツビーの熱い想いを受け止めるだけの力がなく、この恋はうやむやになってしまう。まぁ、その辺の曖昧性が文学といえば文学ではある。

最後に、正直な感想を言うと、一回読んだくらいではこの作品はしっかり味わい尽くすことはできません。最低二回はちゃんと読まないと、作品に対する自分のイメージが確立しないような気がする。それほどデリケートな読み物です。しかしだからこそ、読み込むと心のひだは増えるだろう。「ノルウェイの森」の永沢さんがワタナベくんを友達に選んだのも、その辺の考慮があったと思われる。

本格的な文学作品をネタにBlogを書くのは、なかなか難しいです。やっぱり、自分の中にその作品の確固たるイメージが出来上がらないと、よいBlogは書けないから。でも、これからも毛嫌いせずに、いろんな作品に挑戦したいと思います。(^^)