最近、ふと「人生において、タイミングの占める割合ってどれくらいだろう?」と思ったり。例えば、男女がめぐり合い、愛し合い、結婚する。このプロセスで「タイミングの重要性」がどれくらいあるか。タイミングという「変数」は、無視はできませんよね?
「Sleepless In Seatle(邦題:めぐり逢えたら)」という映画がある。メグ・ライアンとトム・ハンクス主演の作品。脚本・監督ノーラ・エフロン。本作をみれば、人生におけるタイミングの大切さがよく理解できる。知らない人のために、ラストシーンを載っけておきます。
作中、僕がいちばん推したいのは ”It’s a MAGIC” という言葉。そう、タイミングとは「魔法」のようなものだと思うのです。ラストシーンのメグ・ライアンとトム・ハンクスの「目の演技」に注目してほしい。この作品は基本、ラブコメなんですけど、ここはラブコメじゃ無くなっています。ようやく運命の人に出逢えたという、安堵なんですよね。ノーラ・エフロンの演出と思いますが、ここの二人の眼差しには「魔法」がかかっている。そうして魔法は、人生を動かしていく。偶然が必然を凌駕した瞬間。そして祝福の瞬間。
さてさて、結婚して魔法がとけたらどうなるかって? 推して知るべし。現実というトンカチで、頭をどつかれるんです。運命というのは、恵みもあるけど、試練の方がずっと多い。夫婦で、あるいは家族で、厳しい運命と対峙していく。次々と押し寄せてくる困難を、ときに傷つき、嘔吐しながら、乗り越えて行くしかない。もう魔法はないのかって? たぶん、魔法はそんなにないよ。悪い魔法があるとしても。穴に堕ちていくような魔法。こわいこわーい。それに「魔法に恋い焦がれて」生きるのも、愚劣と言わざるを得ない。結局、我々は人生の後半を「粛々と」生きていくことになる。必然のあまねき浸透。のどが乾くね。
いったい、運命とは敵なのか? 必然と偶然のモザイクである運命とは、これまさに神の領域であって、コントロールすることができない。掴もうとすればするほど、運命は逃げていく。長渕剛の「とんぼ」みたい。
どこへお前はどこへ飛んで行く
ああしあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ
待て待て待て。運命と対決するから、痛い目にあうんじゃないか? まるちょうは考える。偶然と必然の総体としてのアウトカムを、辛抱強く保持するということ。つまり、しなやかに生きる、すぐに折れないこと。童話的に表現すると「運命とたわむれるように生きる」というスタンス。底流には、楽観主義と寛容性がある。例の「置かれた場所で咲きなさい」という箴言は、まさにこの生き方を言っていると思う。
老荘思想じゃないけど、「無」になれたら、上記のような「たわむれ」が可能になるんじゃないか。そして多分、「無」の状態の方がタイミングを引き寄せやすいと思う。大人になればなるほど、魔法を信じなくなる。魔法の種明かしに躍起となる大人たち。彼らにはもはや「タイミング」という福音はないのだと思います。魔法を無邪気に楽しめる人は、年をとっても「変数」を受け入れるだけの寛容性がある。
最後に。2022年もいろんな場面に遭遇すると思いますが、できるだけ「無」でいれたらいいと思います。そうして無邪気にたわむれたい。以上「タイミング」というキーワードで文章こさえてみました。今年もよろしくお願い申し上げます。よい年となりますように。
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