たらい回しになりかけた時の「念力」(まるちょう診療録より)

正月の第二週は、たいてい忙しい。第一週はみな受診を避ける。第二週になって、みなさん「そろそろ通常の混み具合になっているかな?」といっせいに外来へ「合流」される。そうして、年に一度あるかないかくらいの「地獄のような大混雑」が生じる。医師と看護師は疲弊し、患者さんは内心いかり狂う。まあ、年中行事のようなもんですわ。その上、今年の第二週は、僕が躁状態だった。睡眠リズムが大幅に乱れて、ベースに消耗による疲労があった。つまり、注意力、集中力の低下が起こる。綱渡りのような状況で仕事をしていた。

80代半ばの女性。娘さん同伴である。看護師による予診で頻脈(HR140台)を指摘されていたので、予め心電図をとっていた。心電図はPSVTで、胸部レ線は明らかな胸水やCTR拡大はなし。PSVTをワソランとかで解除してあげたいが、T診療所ではマンパワーが足らない。三診のうち一人でもDrが抜けると、多数の患者さんを回せなくなる。したがって、PSVTの解除を他院で依頼することに。

このとき、この症例の「根深さ」を知るよしもなかった。というか、患者さんの背景を網羅することはDrの務めである。そのときはまさに、散漫だったと言わざるを得ない。まずC病院に電話をかける。QQ担当医は難色を示された。やはり超高齢なので、PSVT解除後の入院を考えると「できれば受けたくない」とのニュアンスだった。

あまりごねるのも嫌だった。次にS病院をあたる。ここのQQ担当の先生もシブチンだった。先ほどと同じようなニュアンス。やはりオミクロン株の拡大で、入院の制限をかけているのだろうか。次にRC病院。ここは紹介状をFAXで送るシステム。許可が出れば、そちらのQQに向かう。僕はPSVTについて簡単に紹介状を書いてFAXした。そう、背景はなしで。いちおう許可が下りた! やれやれ、これで次の患者さんに進める。もしPSVT解除して問題があっても、そのときは忖度していただき、入院させていただけるものと思っていた。

そこそこ混雑した午前の外来を終えて、午後の外来をしていた。最後の方でNsが飛び込んできて「午前のRC病院、入院させてもらえなかったようです!」と。FAXで簡潔な返信が届いていた。ワソランでPSVTは解除したが、その後Afとなる。浮腫の状況やBNP高値から、ベースに心不全がありそう。この患者様はRC病院では初診なので、いったん帰宅としました。βBと利尿剤を出したので、貴院で投薬調整していただきたい。

もともと状態のよくない(言い訳)脳味噌でも、この患者さんが慢性心不全を持っていたことは理解できる。カルテを調べると、もともとがAfなのである。16時現在、本人様はご自宅。転送先がないか、さらにM病院打診するも満床。とりあえず、勝負は翌日に持ち越し。翌日午前に僕の外来を受診 ☞ そこでC病院再打診、ダメならK病院、MK病院をあたる。全部ダメなら、在宅死もやむなしレベルの自宅待機。

翌日の体調は、相変わらずの躁状態、しかもバリバリ寝不足。ボロボロの体調で診察場という戦場へ向かう。大きなミスをしないように、それだけ肝に銘じる。その日はもう、年に一度あるかないかくらいの鬼のような混雑。交感神経が振り切れるゾ。例の超高齢女性は、12時過ぎに診察。来院時、いきなり嘔吐。ECGはAf、HR120程度(前日RC病院では100程度)。レ線は、CTRやや拡大、肺うっ血やや進行。状態としては、食えない飲めないおしっこ出ない。娘さんもやつれた表情だった。これはなんとしても入院先を見つけなければ。

とりあえず、この患者さんの主治医はC病院におられる。これはどうしたって、C病院が落とし前つけるのがスジじゃん。Nsによると「C病院はもう満床」らしかったが、そんなん関係ない。QQの担当医につながんかい。僕はドスのきいた声で昨日からの経過を説明した。おそらくK病院とかMK病院ははじかれる。可能性があるとすれば、主治医がいるC病院しかない。QQ担当医は、わりと心ある先生だった! 僕の話を心身になって聴き、たぶん当院のカルテも参照されたはず。コールバックを約束して、次の患者さんに移った。脈はある!

次の患者さんを診察中に、C病院入院OKの返事をいただく。文字どおり最後の1ベッドだったようだ。僕は喜びに浸る間もなく、以降の外来をさばいていった。大きな賭けに勝ったという満足をほのかに感じつつ。

入院してわかったこと。慢性心不全の急性増悪はもちろんだけど、この患者さんは子宮癌をもともと患っていて、肺や腹部リンパ節に転移あり。つまり末期癌の状態であった。さらに、アルツハイマー型認知症が進行していて、家族に対する粗暴な振舞い、暴言など。介護において、かなりギリギリの状況にあったようだ。娘さんは入院について大変感謝されていた。心不全と末期癌、そしてアルツハイマーという三つの観点から、終末期医療を専門家のチームで考える。患者さんと家族の密閉された関係では、それは悲劇しか生まれなかっただろう。体調が悪い中、いい仕事ができたと思っています。以上「まるちょう診療録」から文章こしらえました。