最近、ひょんなことから中学時代の同級生とメール交換している。高校時代の悪友Oくんに中学の卒業アルバムを盗られて、中学時代の記憶がなにやら薄い。連絡先なんかも分からないし、もう自分の中の中学時代は死んでしまったとあきらめていた。小学、中学、高校、大学。それぞれに思い出はある。でも中学って、そこにしかあり得ないような、独特な時代だと思うんです。肉体的にも精神的にも、そして性的にも大きな変化の起こる時代。危うげだけど無限で、でもどこか傷ついている時代。あるいは傷つけている時代。
Sさんとメールするようになり、その「閉ざされた中学時代」が、とたんに開けてきた。忘却の彼方にあったたもろもろが、どんどん蘇る。Sさんの送ってくる写真が、私の廃れた記憶をはげしく刺激する。同級生の現在も、とても感慨深いものがある。でも一番「きゅんきゅん」したのは、やはり中学時代の写真だ。各々の表情に、その時代にしかあり得ない「純粋さと勢い」がある。個人情報になっちゃうのでお見せできないのが残念だけど、オレにもこうした「新鮮な」時代があったんだと、ちょっと嬉しくなった。(合宿の集合写真なんだけど、自分の写真だけなら問題ないでしょう。アップしときます)
オレはあの頃、すごく奥手な少年でした。いわゆる反抗期もなく、性的に未熟な子供だった。友人たちが「恋人欲しい」とか「そろそろ初体験したい」とか、そういうそわそわした想いを胸に抱きながら生きているなんて、これっぽっちも思っていなかった。そういう「学校では教えてくれないけど、生きていく上で大事なこと」に対して、自分を閉ざしていた。オレは要するに変人でした。その後、高校、大学においても、青春を上手に料理できないチェリーボーイになっちまった。
上記の写真をみるにつけ、そうした苦い想いもこみ上げてくる。片眼が開いていない生き方だった。青年期、ずっと片眼で生きてきて、36歳(結婚)になって、ようやく両眼が開いた。だから今の自分ならば、そうした中学時代の「勢いのあふれた」写真の裏側に、彼らの旺盛なリビドーと、それにまつわる苦悩、悲しみ、そんなものが見て取れるような気がする。これはもちろん、悪い意味でなく、若さという意味で。勝者も敗者もいない青春期のカオスのなかで、彼らは懸命に生きていた。それはもう、懸命に。そうしてN先生、T先生は、こんな青春期のカオスの奔流に正面から立ち向かっておられた。正面から受け止めるということが、どんなに大変か。それは仕事に就いて、真剣に働けば誰でも分かることだ。お二人は誤魔化さなかったし、いつも公平だった。そんな先生は、どうしたって印象に残る。
村上春樹が「やがて哀しき外国語」という作品のあとがきで、こんなことを記している。
五年なり十年なり二十年なりの年月が経過して、そのあいだに人間が変わるのは当たり前のことで、変わらない方がよほどおかしい。それと同時に、その変化を可能にしたあなたという人間は、一貫した不変の存在としてそこにある。
35年経過して、オレも変わった。なにより両眼が開いたし、大きな病気も二度経験し、家庭を持ち、仕事も一応しっかりやっている。こうした「長い年月をかけた変化」というのは、日常に埋没しているとわかり得ない。人が集まる所って苦手だけど、ここは勇気を出して踏み出そう。秋頃に同窓会、出てみようかと思っています。そうして「オレと同様に変わった」同級生に会ってこようと思う。「35年間の大いなる変化」を感じ取って、何かが生まれるかもしれない。Sさん、本当にありがとう。
中学時代、よかったよねぇ!
私は自分のほとんどを中学時代に築いたと思っています。
それで、あの頃の純粋で無垢(とまでは言わないが)で純情な自分が限りなくいとおしい。
そしてとても好きだった子–結局3回、ヘタでまずい告白をしたがフラれた–を思う、
純粋で一途な気持ち、その頃考えていた世界というのが限りなく懐かしく、「愛くるしい」。
今、あの子はどうしているのだろう?
実はよく知っている。
年賀状のやり取りもしているし、メールもする。
でも、実際に会ったり、つきあったりしたことはない。
中3の頃、私自身がめったにつけない日記の中で、
~~自分が想っていても受け入れてもらえない時にはどうするべきか?
やっぱり相手の幸せだけを祈って、離れて見ているしかない。
でもあの人がどこかで困っていたり、助けが必要な時にはすぐに現れて、助けられる。
そういう男になるべきじゃないのか?~~
その考えは正しいと思うし、今よりずっといい奴だった自分が考えたことを、
今でも実践しているつもり、いや、せざるを得ないのです。
同窓会の帰りの深夜、自宅近くで彼女と二人で立ち話をしていて、気づいちゃった。
あ!俺はこの子に恋する、あの頃の自分自身がかわいくてしょうがないんだってね。
そこでボロボロと涙を流し、彼女を困らせたのですが、
彼女からは「私が苦しんでるときに、あなたはええ女やっていってくれて自信がついた。ありがとう」といわれてさらに落涙。
おい、あの頃の俺!!
これでええんやな!(;;
青春の一ページ。
> カバ先生
三日も放置してすみません。
文章の重みが半端なかったし、どう受け止めるか
ちょっと戸惑いもありました。
そう、中学時代は片思いの時代。
それはあるよね~
だからこそ純粋であり得るわけだけど。
僕もそういうのはありましたよ(^^)
同窓会は、一度出てみるつもりです。
どういう感情がわき起こるか。
あるいはわき起こらないか。
カバ先生は、その頃の自分を愛おしいんですね。
一般論では分かるとしても、僕にははっきりとは
分からないかもしれない。
彼女の前でボロボロ泣けるっていうのも、
素晴らしいと思いますよ。
カバ先生、やっぱ純粋やわ。憎めないね。
これでええんです。泣きなはれ!
僕はそこまで純粋ではなくなっているような気がします。
人それぞれですかね。アラフィフだから、
それぞれの人生を背負ってるからね。
そろぞれ違って当たり前かもね。
でも、コメント欄で一連の感情をつぶさに
披露したカバ先生はえらいと思います。
幸多かれ!(^^)