藤壷は首をひねり、状態を曲げて伸ばした。バグを圧す同じ姿勢を続けて、50分以上の時間が経っていた。屈伸を終え、顔を上げると部屋の時計は1時35分になっていた。
「いつまでやるんですか」
藤壷が低い声で尋ねた。
「うん」丸長は生返事で部屋の白い壁を見ている。
二人を包む空気が重かった。藤壷はバグを圧しながら、一服の清涼剤を求めるように、綺麗な星空を見上げていた。軽いため息がでる。と、そのとき。
「あ、星が流れた!」
不意な歓声に、丸長が顔を上げる。大窓の向こうの星空は、相変わらず沈黙の中に輝いていた。
「先生、流れ星ですよ。やっぱり流星群が来ているみたいです」
「ほう、そうか」
丸長は、ふと深い思索の中に入っているようだった。そして、軽くうなずいた。
「どうしたんですか」
「いや」
部屋の中で再びバグと肺の音だけが続いた。
「そろそろ一時間になりますね」
「そうだな」
「一時間以上やって、戻ったという例はありますか」
「ないだろう」
「じゃあ、やはり駄目かもしれませんね」
「駄目かも、じゃない」
「じゃ・・」
「駄目さ」
藤壷は丸長の顔を見た。丸長は大窓の外の星空を眺めていた。
「じゃ、そろそろ止めるんですか」
「そういうことだね」
「しかし、もうちょっと、やってみませんか」
「急に惜しくなったのか」
「そういうわけじゃないんですが、なにかここで止めるのは悪いような気がして」
「じゃあ、どこで止めればいいんだ」
「それは、僕にはわかりませんが・・でもここで止めれば、この黒人さんは死んじまうんですから」
「そんなことは初めからわかっていることだ」
「もう少し、悔いが残らないように」
「今、止めたら悔いが残るかな」
「せっかくここまで来たんですから」
「なにも来てはいないぞ」
「でも、これまで生き延びてきたんだから」
「生き延びたんではなくて、生き延ばしたんだ」
「考えてみると、僕たち、変な作業にとりつかれたもんですね」
藤壷は一つ息をしてから言った。
「終わりがない仕事だ」
「そうなんですね」
時計は1時38分を指していた。丸長が口を開いた。
「お前が付き合っている彼女って、うちの看護婦かい」
「そうです、C8の小島理恵です」
「短小はきついよな」
「あの時は、ちょっともめていたんです」
「仲直りしたのかい」
「はあ、僕も悪かったんです。彼女も頭に血が上っていたみたいで」
丸長は大窓の外の星空を眺めていた。
「まぁ、男女関係ってのは、いろいろあるさ」
「先生は結婚されているんですよね」
「三年目になるかな。喧嘩はよくするよ」
「そうした時は、どちらが先に折れるんですか」
「俺に決まってるだろ。いつもペコペコしてるよ」
「かかあ天下ですか。ふふふ」
「馬鹿野郎、それが夫婦円満の秘訣なんだぞ」
「男と女って、難しいですよね」
「まあな、永遠のテーマだな」(つづく)