研修医は失踪して「仕事について」なにを考えたか?

1992年の冬、俺は北海道にいた。研修医一年目という身分だったが、俺の中ではすべて過去のものになっていた。大学病院から失踪したからだ。あてもなく歩く毎日。でも、大学病院で消耗していた時のような、倦怠感や破滅感はもうなかった。今から考えると、適応障害だったのかもしれない。失踪して、あてもなく歩く毎日の中で、身体と精神は「まとも」になっていた。

「あてもなく歩く」という行為の「しんどさ」が分かるだろうか? 「あしたは、どっちだ?」という有名な言葉があるけど、なんの生産もせず、無目的に生きることは、気楽だけどしんどい。人生は「ある程度のレール」があった方が、無理なく生きていけるだろう。失踪して、すべてを喪い、今後どうして生きていけばいいのか。考えなければいけないけど、考えたくない。1992年の北海道で、俺は「現実逃避モード」で見知らぬ土地を彷徨っていた。

室蘭の映画館で「ボディーガード」をやっていた。そう、ケヴィン・コスナーとホイットニュー・ヒューストンが共演したやつ。その当時、どういう心持ちで映画館に入ったのかは、覚えていない。ただ「いい映画だなー」という、ぼんやりとした印象を持った。なにより、ケヴィン・コスナーが格好いいし、ホイットニー・ヒューストンの歌が素晴らしい。

ベクトルを喪った人間にとって、すべてのことは絵空事である。重みがなくなるというか。でもこの「ボディーガード」は、当時の俺の心に訴えるものがあったようだ。失踪日誌においても「とても感動した」と記されている。その後、山形と新潟で「ボディーガード」を見ている。

「ボディーガード」について、少し説明を。

ロナルド・レーガンの警護を担当していたアメリカ合衆国シークレットサービスのフランク・ファーマー(ケヴィン・コスナー)は、非番(彼の母の葬式)の日に発生したレーガン大統領暗殺未遂事件に責任を感じて退職、以降は個人でボディーガードを営んでいた。

つまり、主人公のフランクは、すごく責任感の強い人なんです。彼がいちばん怖いことは「肝心な時、そこにいないこと」なのだ。レーガン殺人未遂事件は、だから彼にとってはトラウマなのね。そんなフランクが、うっかりクライアントのレイチェル(ホイットニー・ヒューストン)と寝てしまう。ここの描写がけっこう好きです。載っけておきます。



とても不器用で、無骨なんだな。朝になって冷静になったら、自分の犯した過ちに気づく。そうして「こんなことでは、クライアントを守れない」とレイチェルに言い放つ。レイチェルは、一夜を共にしたのに「クライアントなの?」と怒る。この一連の「ぎこちなさ」が、たまらなく好きです。

今回、ふとしたきっかけで、この映画を見返した。そしてこの作品の底流にあるものを知った。それはズバリ「自分の仕事におけるストイシズム」だと思う。これはレイチェルにも当てはまる。自分のパフォーマンスで、聴衆を感じさせ、力を与え、魅惑する。レイチェルは、大した危険でなければ、聴衆のためにステージに立とうとした。つまり本作は「ふたつのプロ意識のぶつかり合い」なんですね。

東京の神田で住み込みで働くようになって、新宿の映画館で「ナイト・アンド・ザ・シティ」という映画を見た。デ・ニーロとジェシカ・ラングの共演。口先三寸の落ちこぼれ弁護士が、なんとか現在の自分から脱皮しようと、ひと稼ぎをもくろむが、徹底的に失敗する。やっぱ、男は仕事がしっかりできた方がいいなー、と思った。本作は、映画としてもあまりグッとくるものがなかった。



その後、1993年の三月に京都へ戻り、研修医の生活を再開した。「仕事におけるストイシズム」という格好いい言葉に値する生活になるまでに、それからざっと20年はかかったかな。いろんな悪夢を見たし、絶望もした。2003年に結婚した。家族には感謝します。今は、フランクみたいに格好よくはないけど、自分なりのプロ意識を持って仕事をしています。

ホイットニー・ヒューストンは逝ってしまった。ケヴィン・コスナーは二度目の離婚調停に、たぶんうんざりしているだろう。時間というのは、いつも残酷だと思う。でも作品は永遠である。俺は失踪中に室蘭で見た、あの格好いいケヴィンとホイットニーの力強いボーカルを永遠に忘れないだろう。’He is my bodyguard!’ あそこでいつも泣いてしまう。人生の宝物です。以上「研修医は失踪して『仕事について』なにを考えたか?」と題して、文章こさえてみました。