シモな小噺をふたつ

ひとつめ。私はその朝、JR円町駅から歩いてK診療所に向かっていた。外来業務とお腹の調子は、とても密接な関係にある。外来医は仕事に入るまでに、「安心にたる排泄」を完了する義務がある。忙しい外来中にお腹が痛くなるようでは、いい仕事はできないのだ。その朝、私はやや焦っていた。春日通りを南下するにつれ、お腹がゴロゴロいい出した。「これはセブンで出しておいた方がいいな」と、8時半すぎの人気のないセブンへ入る。

ずんずんトイレへ向かう。トイレのドアに青いサインがあると「空き」である。赤だと「使用中」である。わりと人気がなかったので、期待をこめて最初のドアを開ける。青だ! ここで小さくガッツポーズ。セブンで排泄が済ませられる意義は、とても大きい。「よっしゃー!」ガラガラーっとトイレのドアを開ける。

そこには、一人の青年が佇んで、うんこをしていた。

私はドアを引いたまま、固まっていた。青年は「キッと」私の方を睨んでいた。その強い視線には何かしら排他的な光があり、自分のテリトリーを主張する何かを感じた。私は混乱したまま、よくわからない罪悪感におそわれていた。「す、すいません!」ドアをガラガラっと閉めて、トイレをでた。あれ? 悪いのは向こうじゃないの? 鍵くらいかけろよなー。もー


ふたつめ。私は土曜日の外来が終わったあとの、CoCo壱をたいへんに楽しみにしている。毎週水曜日ごろになると「CoCo壱まで、あと三日だな・・」と切なく想うのである。土曜日が祝日だったりすると、途方もない喪失感が私を襲うのだ。チキンカツほうれん草の3辛。これ以外、頼んだことはない。ASDな私は、同じものばかり食べるのは苦にならない。むしろ、冒険してハズレを引く危険性を避けたいのだ。

その日、土曜日の外来は忙しかった。苦難にみちた仕事でも、最後に美味しいカレーがあれば、報われる。そうしていつも、私はT診療所から円町に向かう。とにかく飢えているのだ。CoCo壱に着くまでに、行き倒れにならないかと心配になることさえある。飢えている時は、じっくり味わう余裕すらない。蜃気楼のように見える「チキンカツほうれん草の3辛」を、少し目を細めて食べていく。いつも右から左へ食べる。チキンカツを一片ずつ、胃のなかに入れていく。「3辛」という絶妙な刺激が、鉛のようになった私の心身に喝を入れる。チキンカツの最後の一片を胃のなかに入れる時は、寂寞の想いにかられる。ああ、もう終わりなのか。でも、今回も美味しかったよ。ありがとう。

ああ、美味しかった。私は満足だった。仕事の疲れの90%くらいは吹っ飛んで、さあ次に進もう、という意欲が芽生えていた。ありがとう、CoCo壱。ポケットから常備薬を取り出して、氷水で飲み干す。CoCo壱の水は、美味しいと思う。これ、地味だけどすごく大事。辛いカレーを食ったあと、冷たい水で〆るのは大事なプロセスである。

幸せな気持ちに浸っていると、ふと、唇の周りに違和感を感じた。異物感というか。右手の人差し指で触ってみる。ん?何かな? 人差し指に、ちぢれた短い毛が絡まっていた。

こ、これ、陰毛ヤンけ!

私は狼狽した。この陰毛は、いったい何処から来たのだ? 誰のどの部位の陰毛だ? 私は寒気がした。あれほど上げ上げだったテンションは、奈落の底に落ちた。少し水を飲んで、このことをできるだけ考えないように努めた。会計して、円町の交差点に立つ。私はできるだけ美味しかったカレーのことを思い出そうと頑張った。しかし、どうしてもあの唇の違和感が、頭の中で再現された。ああ、陰毛、陰毛だ。そうして私は、円町の横断歩道をのろのろと渡るのだった。