忘却と好奇心のはざまで(サマセット・モーム名言より)

「忘却は、恵みである」と言ったのは、サマセット・モーム。確かに、人間は「忘却」がなければ、人生を生き抜くことはできない。それほど人生において、困難や恥辱は多い。10年前の「あの事」を、ふと思い出して「キャっ!」となる瞬間。これって、いわゆるフラッシュ・バックというやつだろうか。

モームいわく「過去を忘れれば、生きていける。今は堪えがたい悲しみだろうが、時とともに、それが薄れていくことを願う」と。そうして「いずれ、人生の重荷をもう一度担う勇気を持てるようになるだろう」と続く。

過去の改変ができたなら? しかし、それは現実には御法度である。タイム・トラベラーにでもなれば、可能なのかもしれない。でも人間が生きていく上で「過去の改変」は、節度を欠いた行為なんだと思う。我々は、どこかで「過去を忘れ去る」ことが必要であり、それは一種のスキルなのかもしれない。

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モームのもうひとつの名言「女の好奇心を知らないのか?」について。確かに、女性の「情報への執拗さ」は目を見張るものがある。彼女らはいわゆる千里眼と地獄耳を携えて、生きてきたのだろうか? 僕なんかは電子カルテを使って情報収集しても、ある程度で飽きてしまう。「まあ、いいや」てな感じで。でも、女性はそうした「知の宝庫」を前にして、男性とは違う態度をとるような気がする。ま、これは実感としてね。

女性は「情報をコントロールしたい」という欲求が強いのではないか? あるいは「知らないことの恐怖」が強いのかもしれない。女性は長い間、女同士のカーストの中で生きてきた。これは推測だけど「情報戦に遅れを取ってはいけない」という、根深い警戒心があるのではないか。彼女たちは男性が思う以上に、戦士なのだ、たぶん。

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僕は「忘却」という行為については、達人レベルである。最近は外来中に薬の名前を忘れることがしょっちゅう。それでも過去の患者さんに関するフラッシュ・バックは、たまにある。その都度、苦い気持ちになる。詳細は伏せますが。

好奇心については、あまりありません。どこか仙人みたいなところがある。世捨て人みたいな。「Lonely Stranger/Eric Clapton」という唄がとても好きです。


‘Cause I’m a lonely stranger here,
Well beyond my day.
And I don’t know what’s goin’ on,
So I’ll be on my way.
   
だって俺はここじゃ孤独なよそ者だし 
いい時代はとうに過ぎてしまった
今なにが起こっているのかさっぱり分からない
だから我が道をいくんだ

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最後に、女性は「網羅的な存在」だと言い切ってしまおう。おそらく、男性よりも「記憶を手放したくない」傾向があるような気がする。だから、忘却については苦手という説。フラッシュ・バックについても、女性の方が多い現象じゃないかな? 好奇心は、本来的に女性のものだろう。高齢になっても好奇心の強い人は、だんぜん若い。そして、しなやかである。ここに女性の長寿の秘密が隠されているのかもしれない。「我が道をいく」とやせ我慢する男性は、lonely strangerとして、滅んでいく。ま、僕はそれで別に本望だけどね。そういう性差って、確かにあると思います。以上、サマセット・モームの名言をネタに、文章こさえてみました。