その夜、奥さんは地獄をみた。寝ていては息苦しい、上体を起こすと少しマシだが、眠れない。あまりに息苦しい。僕はそんな彼女の苦しみを知らず、ガーガー寝る。8月1日(火)の朝5時に、彼女は這いつくばって僕の寝室まで到達。「やっぱりあかん、無理」とミミズのような字でメモをドアの前に置く。僕はその後、排尿のためトイレに行くが、寝ぼけていてメモを理解できず。6時半に普通に起床して、顔を洗って髭剃って、鞄を持って、ようやく奥さんの部屋へ。彼女の顔をのぞいて、こう問うたそうだ。「仕事、行ってもいいかな?」→ なんという愚鈍か。そこでようやく事の重大さに気づく。胸部の聴診。左の肺野にラ音聴取する。つまり、呼吸状態が客観的に増悪している。起座呼吸の状態となっている。とりあえず、今日の仕事はキャンセルする。歩いて移動も難しい状態だったので、QQ搬送を要請。O医療センターへ向かう。
QQでの採血では、CRP微増くらい。それ以外はNPだったように思う。喘息発作との診断で、吸入の処置。僕は横についていたのだが、著明な効果あり。奥さんの呼吸は、明確に改善していた。その後、呼吸器科外来を受診。担当医のI先生がまさに「Good Dr」で、ツボを押さえた問診。これまでの病歴で、季節性の咳嗽を聴き出し、近医で処方された吸入ステロイドが効いたエピソードを確認。僕個人の見解として「咳喘息でいいと思う」と伝えた。呼吸器医療の常識として、咳喘息のある一定数は喘息に移行しうる、というものがある。ただ、今回は熱があったので、気管支炎との区別が難しかった。というか、気管支炎と喘息は併存しうるのだ。ふだん、総合内科で気管支炎の対応をすることが多いので、ある種のバイアスに囚われていた可能性はある。7月30日(日)のQQ受診で、うまく立ち回れなかったのが悔やまれる。
入院後、ステロイドの点滴を受けて、奥さんの呼吸状態はどんどん改善していった。僕は短期的な一人暮らしとなったわけだけど、もともと生活能力の低い人間なので、やれることは限られている。可燃ゴミ出しとか、洗濯とか、頑張ったようで、けっきょく雑である。入院三日目の8月3日(木)はオフだったが、朝食後、まったく体が動かなくなった。意欲が落ちている。昼飯、どうしよう? カップ麺でもあるかとキッチンを探したが、ない。サッポロ一番の賞味期限切れを二袋発見! インスタントラーメン作るの、10年以上ぶりだな。まずは鍋の確保から。T-falの鍋の取っ手がおかしい。鍋をつかめない。キッチンを探してみると、ちゃんと新しい取っ手がみつかった。ガスコンロも、買い替えてから使ったことがない。恐る恐るスイッチを入れて・・ きょうびはボタンなんか・・ サッポロ一番をふたつ投入すると、麺が予想以上にお湯を吸うんよね。途中でお湯を足して、なんとかしのぐ。コショウもふって。こうして久々にインスタントラーメンを食べた。まあまあウマかった。
それからまた寝て、夕方にむくっと起きる。ようやく意欲が出てきたか。ウォーク(35分コース)をなんとか歩き、風呂に入り、草津の大戸屋へ。そうそう、瓶をゴミ出しなんとかした。これで、なんとか明日からの仕事に臨めるかな。奥さんは、明日(8月4日(金))の10時に退院らしい。担当医は日曜日に退院とするつもりだったが、彼女の我が家への使命感は強い。8月4日(金)の仕事は、そこそこきつい。夕食は・・彼女が作ってくれた! ありがたい! 干せなかった洗濯物や、シーツとか、洗い物、すべてがすっきりと整頓されていた。さすがプロや・・
翌日土曜日の外来後、またうつになり延々と寝た。日曜日のK診療所の仕事を、ミスもありながらもなんとか切り抜けて、本日に至る。以上、奥さんが入院して、僕はただポンコツなだけだったという激動の一週間について、語りました。