近況・・奥さんが入院、そして僕はただポンコツなだけ(1)

アラフィフ夫婦というのは、いろいろしがらみが多い。老いた親の対応、仕事も忙しい中で、いろんなハプニング。50代後半となると、若いころの「馬鹿力」はもうなく、疲れはしんしんと積み重なり、免疫力も落ちる。あの阿呆な万能感は、今や昔なのである。

7月になり、奥さんの父の様子がおかしい。一人暮らしなので、奥さんがいつも気にかけている。でも、彼女は自分の父が苦手である。たまに様子を見にいくと、帰るころには得体のしれない疲労感に見舞われる。こめかみが妙に痛む。顎関節症に違いないと僕は言った。要するにアレルギーなのである。そんな義父が、調子わるい。奥さんも、そういう父に対して知らんふりはできない。何度も父の様子を観察するうちに、僕との対話の中で「これは完全におかしい」という結論に達する。

そうして、7月下旬に義父は入院となる。それまでの流れで、奥さんはもうヘトヘトである。そうして迎えた7月28日(金)。その日は僕の仕事は忙しかった。途中で奥さんからLINE通知が来るのは気づいていたが、対応できず。心電図が800枚くらいで、終了が17時半。ポルタの成城石井で弁当買って帰る。奥さんの症状は、発熱と咳、そして息苦しさ。コロナ抗原テストは陰性。彼女は、とても意志の強い人である。ちょっとしんどいくらいなら、普通の家事はやり遂げてしまう人だ。その彼女が、ダウン宣言である。ちょっとやそっとではない。

奥さんの症状は、熱と咳と痰、そして息苦しさ。診察すると、両肺にラ音は聴取しない。でも、胸骨上部には確かにラ音を聴取する。感染症があるのは間違いないが、それだけではないか、、 29日(土)には、38.5℃まで上昇。マイコ気管支炎を想定して、MINOとフスタゾール、麦門冬湯を服用してもらう。すべて手持ちにあったもの。解熱にはロキソニンを用いた。

30日(日)の朝、起床してみると、奥さんの状態はやや増悪していた。少なくとも、改善はしていない。もともと日曜日は、コメダへ行くつもりだった。でも朝起きて、さすがにそれどころじゃないと悟った。胸部聴診で、やはり両肺にはラ音なし。胸骨上部(胸部中央)には、ラ音聴取する。症状は、咳と息苦しさ。熱は微熱くらい。発病3日目にして、あまり良くなってはいない。日曜だけど、どこかのQQ受診すべきと思った。

愛車のスイフトで、O医療センターQQへ。奥さんは少し歩いただけでもしんどそう。僕は肺炎をいちばん心配していた。もちろん、コロナも完全には除外できていない。受診時のバイタルは、熱は36℃台、HR110くらい、SPO2 96%とか。頻脈が気になった。当直の先生は、胸部CTなどを実施されたが、CTでは肺炎像は指摘できず。コロナ抗原テスト(2回目)も陰性。まずはほっとした。当直の先生は、喘息を心配されていた。テオフィリン点滴など勧められたが、前日38.5℃も発熱していたので、僕は気管支炎のイメージが強く、同意できなかった。SPO2もそれほど下がっていないし、、 万が一、マイコ感染の合併症で心筋炎などなっていた場合、病態としては心不全であり、テオフィリンは怖いと思った(すでに頻脈なのである)。落とし所として、レルベア吸入のみ処方していただいた。

実り少ないQQ受診であった。ただ、現時点で肺炎ではないことは確認できたし、コロナの可能性も低くなった。当直の先生は、翌日呼吸器科を受診することを勧められた。僕の予定としては、翌日午前中に人間ドックが入っていた。ドックをキャンセルする選択肢を奥さんに訊いてみたが「ドックは行ってきて」と言う。こういう気の強さは、いかにも彼女らしい。その言葉に甘えて、30日(日)の夕方にジムで汗を流して、31日(月)の午前中に人間ドックを済ませた。

こうして「自分の中では」、火曜日以降の心身のリフレッシュを済ませた気でいた。火曜日あから、またしっかり仕事頑張ろう ☞ 結果的には、めちゃ甘い状況判断であった。というか、奥さん自身も、8月1日(火)は夫を仕事へ送り出すつもりだったのだ。そのために、朝食のご飯も炊いていたし、バナナや納豆の買い出しも済ませていた。ところが・・