「勝手にしやがれ/ジャン=リュック・ゴダール 監督」をみた

明けましておめでとうございます。新春いっぱつめは、映画コラムで行きたい。学生のころに一度みているが、テンポの速さに付いていけず、あまりよく分からなかった。監督のゴダールは、昨年9月13日に91歳の生涯を閉じた。本作は短い(90分)こともあり、ちょっと観てみようとなる。やっぱ、映画鑑賞リテラシーが上がっているのか、楽しく観れた。ひとことで言えば「快作」である。ヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品なのである。ネットで「犯罪ドラマ映画」なる評価をみかけるが、それは間違い。本作のいちばんのキモは、もっと別なところにある。次のふたつの軸で語ってみる。

#1 男女関係における「永遠の謎」について考える
#2 不老不死になって死ぬこと

これは、どこか憎めない悪党の男(ミシェル / ジャン=ポール・ベルモンド)と、作家を夢みるアメリカ女子(パトリシア / ジーン・セバーグ)のお話である。舞台はもちろんフランス、パリ。ミシェルは、パトリシアの部屋に転がりこみ、話といえば「エッチしよう」ばかり。でも、パトリシアはそれほど悪い気はしない。抱かれたいという本能に「警告を与える」自分。相手は悪い奴に決まっているのに、なぜか否定できない、どこか許してしまう。本作の核心といえる、パリ下宿での長いシーン(約20分)をご覧ください。ここに男女関係における「永遠の謎」が詰まっています。



ミシェルは悪党だけど、どこか子供っぽい。マッチョな長身で、マスクもまずまず甘い。学はないが、動物的なカンはすごい。悪い男だと思うけど・・ 女性はこんな男には弱いと思う。パトリシアは、最初のこうした葛藤を「自分の気持ちが分からない」と表現する。いろいろやりとりがあって・・ 最終的にはふたりは寝るわけだが・・ 男女が寝るというのは「イカレる」ということであって、知性の向こうにはセックスは存在しない。ミシェルは最低の奴である。パトリシアが妊娠したかもしれないのに、関心などない。「流れで」人殺しもしたし、車も盗む、暴力をはたらいてお金も盗む。そうして警察から追われる。破滅というハゲタカが彼の頭上を飛び回っている。

悪い人じゃないんだけど・・ これが惚れた女の常套句である。私だけが彼の「隠された良い部分」を把握している、他人がなんと批難しようと。・・こうした「錯覚」は、性的な結びつきがあるときは特に、強くなると思う。でもでも、最終的にパトリシアは「彼はやっぱりワルよ!」と気づくに至り、警察へ通報。知性の判断力がリビドーの直感力を打ち負かした瞬間。最後のシーンで死にゆくミシェルを冷ややかに見下ろし「最低って、なに?」と、唇を親指ですーっとなぞるシーンがよい。クールである。


2022年9月13日、死去。91歳没。ゴダールは日常生活に支障を来す疾患を複数患っており、居住しているスイスで「判断能力があり利己的な動機を持たない人」に対して合法化されている「自殺幇助」(安楽死)を選択。医師から処方された薬物を使用し亡くなったと伝えられている(By Wiki)。

この引用を踏まえた上で、次のシーンをご覧ください。オルリー空港の記者会見の模様。大作家(ジャン=ピエール・メルヴィル監督が名演)にパトリシアが質問する。


「あなたの人生最大の野心は?」
「不老不死になって死ぬこと」

ここでパトリシアがふとサングラスを外して、「やられた・・」とフレームの端を口にやる仕草がよい。これは他ならぬ、ゴダールの哲学だったと想像する。もちろん実際には「不老不死」になることはできない。でも、自分の意志が明確なうちに、自分の人生を片付けてしまいたい、という切望。人生を他力に任せてしまうことの恐怖。その潔さは、一種の美学だったかもしれない。「不老不死になって死ぬ」というのは、これ以上ない傲慢な死に方である。ゴダールは自他ともに認める革命家であった。安楽死という終焉は、当然の帰結だったかもしれない。以上「勝手にしやがれ」をネタに、正月早々語ってしまいました。