仕事に惚れるって、どういう境地だろう? これはひとつの問題提起であり、突っ込んで考える価値のあることかもしれない。予告編の映像を載っけておきます。
東京・銀座のビルの地下にある、カウンター席のみの小さな鮨屋「すきやばし次郎」本店。この席数わずか10ほどのちっぽけな鮨屋が、ミシュランガイドで六年連続三つ星に輝くという快挙をなしとげる。店主は今も現役で鮨を握りつづける小野二郎さん(87)。この「峻険なる高み」にいる一人の老人の人物像を、精緻に描き出している。長男と次男も鮨職人であり、特に長男の禎一(よしかず)さんの後継ぎたる苦悩や、職場の人間関係、鮨にまつわる諸問題等々、ゲルブ監督の視線は機敏にして深い。監督は、撮影も担当している。画面に映る鮨のうまそうなことよ! また、編集で速度の上げ下げを巧妙に使っているので、映像を供されるこちら側は、まるで鮨屋のカウンターに座っているような気分になってしまう。さらに、クラシカルな音楽も何故かすごく合うのね。上品なリズム感を醸し出していると思う。大成功の巻。
冒頭に出てくる、二郎さんのモノローグが本作の核心と言えるかもしれない。
「仕事に惚れる」という言葉は、常軌を逸している。なぜなら、仕事の本質とは「苦しみ」だから。もちろん喜びもあるけど、上記の「箱詰め」的な苦しみ、身体的不調、災厄・・ そうした「苦しみ」に耐えて、耐えて、なお「惚れる」ことができるか? 70年のキャリアで「仕事に惚れる」と口にするのは、かすかに狂気を含んでいるようにさえ思える。二郎さんは70歳の時に心筋梗塞でたおれ、生死の境をさまよった。でも、そこからまた鮨屋の厨房に復帰した。
また、YouTubeで偶然拾ってきたんだけど、昨年6月に「すきやばし次郎」でボヤ騒ぎがあって、えらい騒ぎになっている。
映画が2011年のことだから、これは格好のメディアの餌食だね。二郎さんは相当にまいったと思う。でも、それでもめげずに頑張る。「惚れる」ってのは結局のところ、その粘り強さ、一貫性だと思うのね。何があってもぶれない、という信念。
二郎さんはもしかして、仕事以外のものをたくさん犠牲にしてこられたんじゃないか。それが証拠に本作の中で奥様のことには、ほとんど触れられていない。ただ・・「仕事に惚れる」という言葉は、めっぽう格好いいし、男たる本懐ともいえる。70年以上働いて、腕を極めた人間だけが口にする権利があると思う。矛盾をはらんだ重い言葉。
結局のところ、人間は「なにかに従事」しなければ、生きていけない存在だと思う。では何に? ☞「自分がやろうと思ったこと」ですよ。冒頭の二郎さんの言葉に戻る。自分の「これと決めた仕事」に、どんどん入っていくこと。ぶれないこと。常に向上心を持つこと。「仕事に惚れる」努力はしなければならない。そうじゃないと、仕事の方がこっちを向いてくれない。でも、仕事の奴隷になってはいけない。そのためには、やはり向上心だろう。常に上を向くことで、仕事という「地獄」を異なる観点から眺めることができる。そこで「新しい風」を感じることができる。二郎さんは、70年間その「新しい風」を求めて、仕事を続けてこられたのだろう。風は立ち止まったら、もう吹かない。だから立ち止まらず、地獄のさらなる内へ歩いて行く。二郎さんの「惚れる」っていうのは、そういうことだと思います。以上、また偉そうに語ってしまいました(笑)。すんません。