「ケ・セラ・セラ」って、なんでしょね?・・小野リサ コンサートより

さる7月16日(海の日)に、小野リサのコンサートが栗東さきらであった。小野リサさんは、言わずと知れたボサノバの大御所。僕はコアなファンではないけど、休日の正午近くに彼女の音楽を聴くのが好きです。いわゆる「ゆるふわ」的な感じを求めて聴くことが多い。癒やしですよね。休日の午後に、ほんのりと色がつく。ボサノバはそうした音楽だと理解している。

春頃だったか、さきらの広報板に「小野リサ コンサート」の掲示がしてあって、どうしようかな?と迷った。コンサートに行くときの一番の辛さは、会場までの移動です。それがさきらなら、たった五分である。これは行っとくべきちゃう? ちょっとだけ葛藤がありましたが、料金も4000円と安めの設定。嫁にも勧めてみたが、あまり好みではないとのこと。まあいいや、これも縁やろう、チケットとっとこう。ネットでみたら、もうちょっとでソールドアウトやった。やばー 前から五列目の端っこ。

正直いって、それほど期待はしていなかった。小野さんは最近は日本のうたも積極的にこなしておられるようだ。新しいアルバムが出ているようだし、その宣伝もあるのかな?などと邪推していた。そして16日当日。自宅でカレーを食べてから、いざ出陣。さきら大ホールは、13年間ここ栗東に住んできて、初めて入るという。高い住民税払ってんのに、なんやねん。さて、小野リサさんは55歳で、今年でデビュー30周年を迎える。僕なりの(あくまでも妄想としての)小野リサ像は「ゆるふわに見せかけて、実は根底に強い意志をもった女性である。そうでなければ、一芸にこれだけ秀でることはできない」みたいな感じかな。五列目から拝見して、その「ゆるふわと強さの混ざり具合」を観察しようと思っていIMG_0972た。

結論から言うと、ノックアウトを喰らってしまった。演奏曲をみていただければ分かるが、ジャズからボサノバ、ラテン音楽、演歌、民謡、ポップスなどなど、とにかく幅広い。おそらく小野さんは「これは歌いたい」と思うものを自由に歌うというスタイルなんだと思う。それでこそ歌に想いがこもるし、リスナーにも伝わるわけ。その中でひとつ、印象に残るうたがあったので紹介します。五番目の「Que Sera Sera」です。いわゆる「ケ・セラ・セラ」、つまり「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味の言葉です。あらためてこの言葉、深いなーと思ったのです。訳詞とドリス・デイの歌ケ・セラ・セラ.を載っけておきます。

「なるようになるさ」という姿勢は、一種の楽観論に基づいていると思う。その上で「無駄に悩んだり、苦しんだりするなよ」ということだ。言い方をちょっと変えて「なるようにしかならない」とすると、ちょっと厳しいように聞こえる。投げやりみたいな。でも実際、人生の半分は必然なのだ。どうしようもないことが、半分を占めている。いつまでもこの「どうしようもない必然」に拘泥していては、前に進めない。そうでなくて、あと半分の偶然を自分のものにしよう。そのためには、とりあえず前に進まなくてはいけない。じっとしていては、良運も逃げていく。「半分の偶然」を夢見て、自分なりに舵を取って人生を歩いて行く。これこそ「楽観論」つまり、ケ・セラ・セラじゃないでしょうか。つまり平たくいうと「前にすすむ勇気を持てよ」と激励する言葉なんですね。



コンサート終了後、精力的にサイン会も開いておられてビックリした。やはり、ゆるふわにみせかけて「ゆるぎない」心をもった人だとお見受けした。ああ、多くの糧をいただいた。ありがとう、小野さん。最後に「よいコンサート」ってなんだろう? 家路についたとき、足取りがだんぜん軽いこと。胸熱になったり、深く考えたり、すてきな真夏の夜でした。笑