オレはドMです。でも、自分がそうだと気づいたのは、いつ頃だろう? ここ十年くらいじゃないかしら? 自分がドMであることは間違いないが、SMという構造について、ちゃんと整理できていないかもしれない。勉強という意味も含めて、ちょっと文章こしらえてみたい。
自分がドMと気づいた、いちばん顕著な証拠とは? AKBが世の中を席巻しはじめた頃、オレが抱いていた妄想である。AKB板野さんに振り回されてグデグデになる自分を、よく想像していた。要するに、変態ですな(汗)。「痴人の愛/谷崎潤一郎作」のような世界である。妄想しながらも、自分がそういう一面を持っていることを発見して、複雑な気分になった。
SMの定義を、まるちょうなりに抽象化して考えてみる。SがMをムチでしばくみたいな具体的なやつじゃなく、もっと日常的で普遍的な言葉で記述できないか? たとえば
Sとは「かまわずにはいられない属性」
こう定義すると、どうだろうか? Mは動かない。動かずにじっとしていることに抵抗がない。いつか自分に供されるのを阿呆にじっと待てるのがドM。したがって、釣りという娯楽は「マゾ的」という見方も可能かもしれない。逆に、女を口説くという行為は、サド的と言えるかもしれない。私なんかはドMですから、口説くというのは全くダメです。世話女房というのも、ある意味でサド的と言えるかも。
元AV女優、及川奈央の至言である。Sは相手にコミットすることにより、充足する。コミットして状況(相手を含めて)をコントロールしようとする。Mはひたすらコミットされるのを待つ。そこには論理的思考や行動力などは皆無である。すなわち阿呆なんだと思う。そうして千載一遇のチャンスで相手にコミットされたら、満願の涙を流して喜悦にむせぶのである。
純度100%のMは存在するか? それは、否である。人間である限り、ヘテロ(SとMの混在)に違いない。例えば会社の社長で、職場ではリーダーとして社員に檄を飛ばし、人やモノ、カネのコントロールに余念がない。すなわちサド的に振る舞うのだが、夜な夜なSMクラブに通い、そこではマゾ男として女王様にいたぶられることを喜びとする。こうしたSとMの表裏一体は、ちゃんと認識すべきだと思います。人間であるかぎり、バランスなんですね。
ただ、SあるいはMに極度に偏った人は、ノーマルなセックスは難しいんじゃないか。それは何故かというと、セックスは一方通行では成立しないから。攻めて攻められて、というのがセックスの醍醐味じゃないですか(笑)。だからこそ、SMプレイというセックスの代替行為があるわけですね。今ふと思ったんだけど、よくある「放置プレイ」というのは、一種の「じらし行為」なのかな。ホントに放置したら、それはSとして失格だもんね。
これ、明確にすべきですよね。世間でよくごっちゃになっていると思います。暴力は概念的にSとなんの関係もない。「暴力 ≠ コミット」と書き換えてもよい。あ、もちろんM側が「オレを殴ってくれ」と要求したなら、それはアリですが。
最後に、まるちょうという人のMの性質について。これは多分、鈍感とか無粋とか機転が利かないとか、そういうことなんだと思っています。根底には「虚無」があります。だから「でーんとそこにいつまでも居る」という状況が出てくるんだな。私の場合、とくに若い頃は「何も考えていない」ことが多かったので、何の進展もないわけです。そこへSの誰それが介入して、ようやく場が動き出すということが多かったように思います。まあ、阿呆やな(笑)。今はSの要素もかなり学んで、ずっとヘテロになってます。でもコミットは苦手やな~ アラフィフなので、いっぱしの常識人でいたいとは思うのですが(汗)。以上「ドMで悪かったな」と題して、文章こしらえてみました。