人生において踊り続けるということ

オレは名刺というものを持っていない。いつも名刺交換のときに「すみません」となるので、そろそろ作ろうか?と思案したりする。アラフィフで名刺もないと「どこの根無し草や?」みたいなキツいツッコミをくらいそう。でも・・いざ名刺を作るとなると、オレの「肩書き」ってなんだろう?となる。それはシンプルに「医師」それしかない。医学博士でもない。専門医も認定医もなにもない。この名刺をみて、相手は「大したことないんだな」と思うかもしれない。そう、オレは曖昧模糊な「医師」である。逆に言えば「肩書き」というヘンな束縛がない。だからめっちゃポジティブに言えば「自由人たる医師」と言えるかもしれない。医師としてヒエラルキーの底辺にいるとしてもだ。つまり、次のような公式が成り立ちそうだ。

根無し草=底辺=自由


さて、村上春樹の書いた「ヒエラルキーの風景」というエッセイがある。その中で、日本の大企業、官庁からアメリカに派遣されている超エリートを批判する箇所があるのね。ちょっと引用してみます。


でも中にはまったくどうしようもない人がいる。そしてそういう人たちの多くは、どういうわけかいわゆる「超エリート」である。会っていちおうの挨拶をした次の瞬間から「いや、実は私の共通一次の成績は何点でしてね」と、滔々と説明を始めるような人々である。だいたい僕らが大学に入った頃には共通一次なんてものはなかったので、のっけからそんなこと言われても何が何やらよくわからない。しかしもっとよくわからないのが、自己紹介がわりに共通一次の点数を持ち出す人間の神経である。いったい何を考えているのだろうか。こういう人たちがエリートの役人として、日本で幅をきかせてエバッているのかと思うと(アメリカに来てもかなりエバッていた)、これはちょっと困ったことなんじゃないかなという気がする。



オレの想像するに、これはあくまでも特殊な例だろうと思う。ただここで問題にしているのは「そうした種類の人が確かに存在する」ということだ。超エリートとかそういうの抜きで、ここではもう少し一般化して考えてみたい。つまり「過去のいさおし」をいつまでも自分のアイデンティティとしてかざそうとする人たち。共通一次の点数とか、○○大学卒とか、そういうの。医師免許だって更新制じゃないから、勉強しなければどんどん朽ちていく資格である。そうした「過去のいさおし」を振りかざす心理ってどうなんだろう? ひとつには、その殊勲を得るためにいかに粒粒辛苦を強いられたかという、ある意味「苦労じまん」みたいなことだろうか? わしの武勇伝を聞いてくれ、みたいな。

そうした人たちの心は「過去に生きている」と言えるかもしれない。だって、ちゃんと「今を生きている」のならば、そんな過去のことなんか忘れちゃってるよ。過去に拘泥する精神というのは、あまり健全でないと思う。なにより創造的でない。この種の人間が官僚だったりすると、ちょっとえらいことになりそうだ。だってアイデアがすべて形骸化してたりするかもしれない。日本を動かしている人たちが「共通一次の点数」で挨拶するような人ならば、これはホントに怖いことだと思う。



今を生きるということ。それは自由を感じているか?ということ。視野をひろく、自分を解放して、ダンスできているか? そう、なにより踊らなくてはいけない。ステップが止まれば、そこでジエンドだ。個人的に思うのは、ヒエラルキーの上に行けば行くほど、ステップは萎縮してしまうということ。システムから「お仕着せのルーチン」を与えられて、次第にクリエイティブな心はしぼんでしまう。目先のことで精一杯で、次第に視野は狭窄する。

そうした「構造」はさておき、いかなる場合でも「エバる」というのはよろしくない。肩書きや過去のいさおしを笠に着て、ヒエラルキーの下層にいる者を愚弄するなんてのは、もってのほか。あるいは視野が狭窄して、下々の気持ちがくみ取れないのか? 純粋培養のエリートというのは、人生の初めから「あなたは上層の人間よ」と刷り込まれてきた可能性がある。そうすると、人生の中盤くらいにきて、もうその無残な意識を改めることはできない。そういう文脈に沿って、引用にある「共通一次男」が出現するのである。それはまさにリアルな悪夢なのかもしれない。

かつて羊男がこう言った。

踊るんだよ。音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度停まったら、もうおいらにはなんともしてあげられなくなってしまう。



共通一次男はすでに足が停まっている。心は過去に生きていて、もう創造性のかけらさえない。ヒエラルキーの上層にいても、それでは幸せとは言えないだろう。人生を踊り通そう。踊る意味を考える? アホな。「意味」なんて後付けでじゅうぶん。いちばん大切なのは「足を停めないこと」。ヒエラルキーの底辺にいるオレは、そう思います。あるいは、根無し草の強みは「自由に踊れる」ことなのかもしれない。以上、言葉からインスパイアされて文章こしらえてみました。