二十年目のトンボ・・「人間交差点」より

漫画でBlogのコーナー! お気に入りの短編漫画をネタに、またいろいろ語ってみたい。今回も「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より「二十年目のトンボ」を取りあげてみる。まずはあらすじから。

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六十半ばの夫婦がいる情景。老いた夫は、マンションのベランダに止まっている赤トンボを捕まえようとするが、逃げられる。「アハハ無理ですよ、あなた。もうお年ですもの」と妻。二人は出会いの頃からお似合いのカップルだった。男のことが可笑しくて、女がクックックと笑う。そうして男がペチっと女の頭をはたく。この妙な呼吸が可笑しく38て、また女が笑う。しかし、さすがに子供が生まれてからは、そうした「遊び」はなくなった。夫は仕事に集中し、妻は子育てに追われた。ごく一般的な幸福な生活だった。

二十年前に、この夫婦は一人息子を失った。夫の言動が常に両極に揺れるようになったのは、その時を境にしてである。それがあまりにひどいので、妻は会社の部下に様子を聞いてみる。すると会社では全くその反対で、一度口にしたことは絶対に曲げないという。妻はふと思う「この人は心の中で戦ってい03るのではないか」と。ある方向に引かれようとしている自分の気持ちを、なんとか踏みとどめようとしているのだと思った。



夫が定年の一年前に、泥酔して警官に抱えられて帰宅したことがあった。夫の寝顔をみて妻は「この人、仕事でごまかしていたんだ」と思う。その仕事も定年を迎え、この人からなくなろうとしている。55「どうしたらいいのか、わからなくなったんだわ」 寝ている夫に妻は声をかける「あなた、定年になったら別荘で暮らしましょう。通勤の必要がなくなったら、空気のいい自然の中で暮らしましょうよ」と。お互い別々に二人は戦ってきた。一緒にいられるようになったら、残りのわずかな時間を、二人で戦ってみようと思ったのだ。

子供のためにと、無理をして建てたオモチャのような別荘だった。二十年もの間、主を迎えることなく忘れられていた。いや、あまりにも多くの思い出があり、売ることも壊すこともできずにいたものだった。こちらに来た当初は、散歩はおろか外に出ることさえ嫌っていた夫だが、一年もたつと日に二度は一緒に散歩するまでになった。

ある日の夕暮れ。夫婦で散歩していたら、赤トンボが飛んでいた。妻は夫に「あそこあそこ、捕まえて36下さいな!」と促す。夫はそーっと赤トンボに近づいていく。妻は「夫に捕まる赤トンボなどいない・・」と内心思っている。「でも追ってくれなくては困る。私たちはまだ生きている。失敗もあったし、大きなものも失った。私たちから生まれて、そして逝った小さな命を記憶してやれるのは、私たちだけなのだから・・」

ふと見ると、夫が赤トンボを捕まえている。「わーっ、捕まえた! 捕まえたぞ! アハハハ!」「凄いじ59ゃない、あなた! 凄いわ!!」喜び合う二人。夫は赤トンボを放してやる。彼方へ飛んでいく赤トンボ。それを見る二人の視線は一致している。そうして、秋の夕暮れにちっぽけな幸福が降りてくる。


本作は「夫婦のたそがれ」について描いてある。まるちょうは、この夫婦のような「たそがれ」は、とてもいいなあと思う。夫婦って、いろいろあります。ホントにいろいろある。この夫婦の場合は、二十年前の息子の死。そう、いいことばかりじゃない。こうした最悪の事態だってあり得る。その後の二十年間、夫と妻はそれぞれ違うふうに戦ってきた。誰と? 死に向かおうとする自分とです。

人生は七転び八起きといいます。それは夫婦生活もおなじ。「転ぶ」というプロセスは、避けて通れ18ません。というか、数々の失敗があって、それに夫と妻がコミットしていくことで、うまくいけば夫婦という関係性に厚みがでてくる。もちろん失敗から「消えようのないしこり」ができて、結局わかれてしまう夫婦もいる。「七転び八起き」というのは、オプティミズムを基にした言葉であって、現実はそう甘くないのかもしれない。でもどうせ生きるなら、八つ起きようよ。

本作は、夫が「起きれずに」死に向かっていたかもしれない。バラバラに分解してしまう自分を、仕事という「まやかし」でなんとか食い止めていた。でも、賢い妻は「夫の危機」をしかと見抜いていた。定年を迎えて行き場のなくなった夫を、ちゃんと導いてあげた。この場合、夫を助けたという形にはなるけど、妻自身も助かっているのです。そうした構造が、夫婦関係というものにはあると思います。

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夫婦って、お互いの良いところも悪いところも、たいてい分かり合っている。あるいは強いところ、弱いところも分かっている。そうした「いちばん近しい関係性」の中で、人生の終わりを「ともに戦う」のって、すてきだと思うのです。 戦う? そう、生きるのって、若くても年老いても「戦い」ですよ。戦いをやめたら、それは死ぬ時だ。本作の夫婦は、二十年前の「息子の死」というトラウマと真っ向から戦っている。それが人生の宿題であるかのように。これは「永遠に解けない課題」なのかもしれない。でも、二人おなじ記憶を胸にいだいて戦う、それでいいじゃん。ラスト、夫がまさかの赤トンボ捕獲、これ泣けました。まさに「たそがれにおける希望」を描いている。ちいさな、でも確かな希望です。以上、漫画でBlogのコーナーでした。