ストックホルムでワルツを/ペール・フライ監督

「ストックホルムでワルツを」(ペール・フライ監督)を観た。二月に劇場で観て、恥ずかしながら大泣きしてしまった。今回、DVDでふたたび観て、まったく同じ箇所で嗚咽した。スウェーデンが生んだ世界的ジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの伝記的ストーリー。まず当然のことながら、音楽が素晴らしい。母国語(スウェーデン語)で歌うジャズの起源を目の当たりにして、なるほどね~と膝ポンしたものだ。ただ、モニカをとりまく状況は、いつも息苦しい。その「息苦しさ」は、彼女自身が作りだしているのに、本人は気づかない。苦しみもがいて、もがいて、傷だらけになって、ようやく「安らかなラスト」を迎える。おお、なんという息苦しいパーソナリティよ。予告編を載っけておきます。



いちばん軸になるのが「モニカと父の確執」である。モニカ(エッダ・マグナソン)はバツイチのシングルマザー。首都ストックホルムから遠く離れた「ハーグフォッシュ」という田舎町で、電話交換手として働く。五歳の娘、エヴァ・レナ(ナジャ・クリスチャンソン)は、主にモニカの両親が面倒をみている。モニカは時間が空けば、ステージに立って歌う。クリスマスだっておかまいなし。愛しいはずの娘を実家に残してニューヨークで歌う。要するに、上昇志向の強い女だ。自分のジャズシンガーとしての才能を、しっかりと自覚している。「私はこんな田舎町でくすぶっている女じゃない」というわけ。

そんなモニカに、父(シェル・ベリィクヴィスト)は、いつも怒り心頭である。当たり前だ。モニカがシンガーとしての仕事で失敗したあと、極めて強い口調で諫めるシーンがある。

覚えてるか? お前は子どもの頃、友達と木登りをするたび、てっぺんまで登らんと気が済まなかった。だから木から落ちて死にかけた。父さんの話を聞け! 友達は下のほうの枝であきらめた。途中で引き返してきた。危険だと分かったからだ。だがお前は登り続けた。お前の聞き分けの悪さは昔から変わらん。

モニカが狩猟系とすれば、父は農耕系だろう。狩猟系は夢のNYを目指して邁進するが、農耕系はハーグフォッシュで埃をかぶって暮らす。いちばん迷惑なのはエヴァ・レナである。本作は視点を変えると、エヴァ・レナの争奪戦のようなものだ。エヴァ・レナを演じるナジャ嬢は、おっとり可愛らしい。この子役の「癒やし感」を味わうのも、本作の見所だと思う。「エヴァ・レナの争奪戦」の最たるシーンを載っけておく。このシーンを劇場で観て、頭がうつろになり胸が引き裂かれた。すべてはアルコール依存で自己管理能力のないモニカのせい。身から出た錆なんだけど、実の父に子どもを奪い取られるという仕打ちは、ああ無情という他ない。



モニカはこの悲劇的な別れのあと、自殺未遂により療養生活に入る。いったんは消えかけた生きる炎だが、モニカはあきらめない。どん底から這い上がり、とうとう憧れのビル・エヴァンスとの共演を実現させる。実家で交わされる父との会話を載っけておく。かつて父もジャズ・トランペッターとして活躍していたが、夢を封印したのだった・・という伏線がある。

私は外の世界が見たかったの。父さんが哀れだわ。分からない?(何がだ?) 父さんも成功できたはず。でも挑戦しなかった。上からの眺めは素晴らしいのに。

NYでビル・エヴァンスとのステージを成功させたモニカ。その夜、ハーグフォッシュの父からホテルに電話がかかってくる。このシーン、めっちゃ泣けるねん。狩猟系と農耕系がわかり合えた瞬間である。父いわく「すばらしかったぞ。それとお前は・・ 木の上からの眺めを私に見せてくれた。ありがとう」と。この愚直なことばが、もうたまらんのですわ。

最後に一般論を。人生は狩猟系であるべきか? あるいは農耕系がいいのか? モニカのように偏った狩猟系では、ホントに息苦しい。彼女は生まれつきの「悪」を持っていたと思う。だからこそ、生き急いだし、上昇志向をやめなかった。失敗にくじけず、リスクをものともしない。こうした生き方にいちばん必要なのは、強いメンタリティだと思う。モニカはまさに、それを持っていた。でも個人的には、人生は農耕系が安全だと思っている。日々、同じことを繰り返して、確実に生きる。大きなリスクは負わず、想定内のリスクで毎日を生きる。そうしてマクロ的には、10年後20年後に大きな収穫を得る。だから、狩猟系がずるいように思われがちだが、実際は農耕系の方が狡猾なのかもしれません。大人というかね。モニカの父は農耕系といっても「夢を封印した」人生である。これはいただけない。個人的には、ベースは農耕系だが、心の奥底にライフルを構えているようなのが理想なんだと思う。必殺仕事人みたい(笑)。以上「ストックホルムでワルツを」で語ってみました。