夏休み ダー!(ちまたの学生はね)

「村上さんのQ&A」のコーナー! そろそろネタが少なくなってきました。今回は「これだけは、村上さんに言っておこう」から、引用します。いつものように、質疑応答を抜粋して、自分なりに考えてみます。

<質問>村上さんは小学校時代、夏休みの宿題は、締め切りのある原稿みたいに早め早めに済ませていたのでしょうか? 私は読書感想文とか自由研究とか工作とかそういうものがとにかく嫌いで、先へ先へと延ばしているような子だったのに、娘には「宿題なんて7月中に終わらせるものよ!」などと、つい偉そうに言ってしまいます。それにしても、村上さんの子供の頃の読書感想文って、ちょっと読んでみたい気がします。(栃木県 33歳 主婦)

<村上さんの回答>原稿の締め切りはぜったいに守ることで有名な村上です。しかし学校の宿題だけは、ぎりぎりまでほったらかしておいて、いつも遅れていました。宿題なんて、ほとんど無意味ですよね。子供のときは、できるだけ好きなことをするのが一番だと思います。親としては、そうもいかんのでしょうが。

ちなみに僕は、読書感想文を書くのがうまくて、他人のぶんまで(昼飯をおごってもらうくらいのギャラで)書いてあげていました。そういうのって、子供の頃からやはりあるんですね。


<まるちょうの考察>まるちょうの夏休みの宿題の想い出といえば・・ 大体のパターンとしては、夏休み前半は「あれもやろう、これもやろう」的なロマンチスト。中盤で生活リズムを狂わせ、コントロールできない自分に嫌悪感。八月の終わりに、茫然自失となり、どう取り繕うか考える。そんな子供でした。

いちばん覚えているのは、高校一年の夏休み。読書感想文に、ドストエフスキーの「罪と罰」を選んだ。なぜって、みな「この本読むべし、面白いよ!」みたいなこと言うから。米川正夫訳の古くさい文体に、頭をくらくらさせながら読んだ。その頃、私は読書の習慣がなかったし、たくさんの登場人物、いろいろ呼び方が変わる人名・・もう「苦行」そのものだった。「一日50ページ」みたいなノルマを自分に課して、文字通り「歯を食いしばって」読んだ。辛うじて、ラスコーリニコフが老婆を殺害する場面は、ちょっとスリルを楽しめたが、それだけ。ぜんぜん何のことか、分からない。秋の気配が漂う八月の終わりに、私の頭の中には「罪と罰」について記述すべきことが、何一つ残っていなかった。まっしろけ。晩夏の涼しい風が、その時の私には「ぞぞぞと背中が凍り付くような」塩梅だった。ただもう「恐怖」だった。

二年後の高校三年の夏休みは、太宰治の「斜陽」で、少しはましな文章を書いて提出したんだけど、それも今思うと「ケツの青い」文章だった。何というか「読書の楽しみ方」というのが、根本的に分かってなかったね。今もそうだけど、まるちょうという人間は、真面目だけど怠惰です。真面目と怠惰が両立しうるか? これが、するんですね。例えば「真面目で勤勉」な人間だったら、今ごろ「普通のアラフィフのおっさん」になっていたかもしれない。そしてお約束の「ミドルエイジ・クライシス」とか、迎えていたかも。私は変わっているので、20代で「クライシス」を迎えたけどね。

ちょっと脱線するけど、私の「印象に残る夏休み」は、ずばり大学二年と六年のとき。二年は「北海道一周旅行」、六年は「インド・ネパール旅行」を敢行した。あの時しか味わえない「熱気、怖いもの知らず、超越の瞬間」は、二度と戻ってこない。ニーチェのいう「超人」になった気がした夏だった。自分にとって「一人旅」が、いかに特別なものかを確認した夏でもあった。どちらもまさに「100%手作り」の個人旅行であり、その「形成するプロセス」こそが、わくわくするし、人格を成長させる。お仕着せの「夏休みの宿題」は、結局のところ自発性に欠ける。自分の本当のベクトルに乗っかってないから「形成するプロセス」がない。だから気が乗らないし、人格形成にも特に寄与しない。

夏休みという「絶好の長期休暇」は、やっぱり自分のやりたいことをとことんすべきだと思う。大学二年と六年の夏は、そういう意味で、自分にとって記念碑的です。学生さんへ。待っているだけでは「記念碑のような夏」は、やってきません。むしろ待っているだけでは、宿題のような「お仕着せ」が背後から追っかけてきます。村上さんの言うとおり、自分が「これ」と思ったことに、とことんコミットしましょう。これ「波乗り」と同じ事で、いつも上手くいくとは限らないので、難しいけど・・ でも、試行錯誤こそが若さの特権ですからね。すてきな夏休みを過ごされるように、お祈りします。以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。