あこがれ・・「人間交差点」より

漫画でBlogのコーナー! お気に入りの短編漫画をネタに、ちょっと語ってみたい。今回は「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より、「あこがれ」という作品を取りあげてみます。女の情念、静かで凄まじい戦いなどを描いています。思わず「こわ~」ってなりますよ(笑)。まずは、あらすじから。

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私は20代のOL。幼い頃、同居している叔母は私のあこがれだった。その生涯のほとんどは寝具の中で身を横たえ、まれに気分のよい時にのみ、花を活け、お茶をたてていた。その美しさは近寄りがたく、弱々しさが、またそれを輝かしているかのようだった。父は自分の妹である叔母を、大切に扱っていた。それは、まるで姫に仕える家臣のように見える時さえあった程だった。それに比べて母に対しては、子供の私が同情してしまうほど厳しかった。父はよく、私へのしつけが気に入らない21と、母に乱暴をふるっていた。母は、私のしつけに対しては放任状態であり、お手伝いさんと一緒にまっ黒になって掃除する母親を見て、どうしてもっときれいにしないのだろう?と不思議でしようがなかった。その分、やはり私には叔母が輝いて見えた。

叔母が亡くなり、父が亡くなった。そうして母は、私たち四人が住んでいた家を取り壊して、マンションを建てようとしている。父が亡くなってまだ半年というのに、母はさっさと手続きを済ませてしまう。叔母の遺品を無造作にポンポンとたき火の中に入れていく母。その顔がどこか微笑しているように見える・・



母に「叔母さんのこと、どう思ってた?」と訊いてみる。「陰でね、随分いじめられたわよ。たいがいのことは我慢できたけど、あんたのことを使った時だけは腹がたったわねぇ」と平静に語る母。「今だから言うけど、叔母さんは体なんか弱くなかったんだよ。06元気そのものだったんだ。まあ精神的に落ち込んでいたっていうのはあるだろうけど、体そのものはピンピンだったよ」戸惑う私にこう追い打ちをかける。「亡くなった原因も、自殺だったんだ。そう、私に対する最後のイジワルだったのよ。遺書はなかったけど・・」

母の回想、その一。叔母が私を部屋に招いて、お花を活けさせ、口紅を使わせていた。私の服は紅でどろどろ。母が叔母の部屋に入ってきて、それを見つける。「涼子!」思わず叫ぶ母。叔母は「いいのよ、叱らないでやって」と静かに母を見据える。母はそこでプツンと切れた。叔母に渾身の平手打ち。母曰く「あの時の平手打ちは効いたと思うよ。まさか私が叔母さんを叩くなんて想像もしてなかっただろうからね」「あれは、おまえの服を汚すように18仕向けていたんだよ。そうすると、私が父さんから怒られるからね。しつけがなっていないと」

母の回想、その二。自室で首を吊って死んでいる叔母。それを発見して驚く母。テーブルに走り書きのメモがある。「タヅ子へ 死んでやる ザマアミロ」 母はこのメモをキッと見据える。そしてグシャグシャとまるめて、口の中へ放り込む。そして、ごくんと呑み込む。横には冷たくなった叔母の体が、32宙に浮いている。母はこれら一連の行動を、無言で、極めて平静にやり遂げる。

そうして家は取り壊され、母の顔が急に明るくなったように思える。私の気のせいだけだろうか。

本作は、女同士の戦いの本質を描いている。一番のキモは、隠れていること。実際には激しい火花が散っているのに、表象的には平静である。それが証拠に涼子(私)には、この母と叔母の「軋轢」には気づかなかった。女の取っ組み合いというのは、常に水面下で行われている。現実に取っ組み合いをしているならば、それは既に関係が破綻している状況である。

本作で描かれる「叔母」は、相当に病んでいるね。もちろん、精神的に。涼子は知らなかったが、叔母は五年ほどの結婚生活を経験していた。しかし、子宝に恵まれず離婚。そのあたりの「怨念」が、彼女を狂わせてしまった。母の戦いとは、叔母に対する戦いというより、叔母という「悪霊」から自分の子(=涼子)を守る戦いなんだな。叔母がらみで、夫から暴力を受けるのは、別にかまわない。涼子は別に行儀が悪くても、服が汚れていても、丈夫に育てばそれでよし。

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一番すごいと思うのは、母は結局のところ、真実を涼子に言わないのね。叔母からの遺書(母への憎しみの走り書き)があったことを、最後まで明らかにしない。まさに「呑み込んだ」のである。この「メモを呑み込む」という行為が面白いと思う。そう、女の戦いにおいて「動揺」こそが敗北なのだ。母はこの自殺の現場と遺書の存在を、墓場まで持っていく決心をした。恐怖心をぐっと抑えて、母は叔母の決死の一撃を呑み込んだ。そうして、この「隠れた戦57い」は、水面下のままに保たれた。「母の一念岩をも通す」ということでしょうか。

自殺についてひとこと。この叔母の自殺は典型だけど、自殺ってどこかに「復讐」の要素が入っていないだろうか? 純粋に自分の命を絶つというのはむしろ少数で、どの自殺にも「何らかの復讐」が含まれるんじゃないか? そんな気がする。他人との関係性なしに自殺するケースって、普通は考えにくいと思う。たいていは他人に何かを表現したくて、自殺するのだ。

幼い頃の涼子みたいに、子供とか、あとは唐変木な男たちは、こうした女同士の「水面下の戦い」を見抜けない。あえてポジティブに評価すれば、これはとても高度なコミュニケーションであり、ある意味「文化」とさえ言いうるかもしれない。いわゆる「女社会におけるカースト」というのも、そうした水面下の関係性が絡んでいる。ま、未年の俺なんかに言わせると「こわ~」っていう感じですわ。君子危うきに近寄らず、っていうかね(笑)。以上、漫画でBlogのコーナーでした。