輪立ち・・「人間交差点」より

漫画でBlogのコーナー! まるちょうお気に入りの短編漫画をネタに、また語ってみたい。最近は「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」ばかりですが・・ やっぱ、このシリーズ、読んだあとに「心に残る」作品が多いと思います。今回は「輪立ち」という短編を取りあげます。まずは、あらすじから。

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私立探偵の松本は、ある困難な依頼を引き受けて、ローマに滞在していた。日本人旅行者相手にローマでガイドしている娘を、説得して連れ戻して欲しいという内容。両親いわく「娘は帰りたいんです。でも私たちの反対を押し切って絵画の勉強をしに行って挫折した手前、帰るに帰れなくなってしまったんです」と。娘さんは「ますみ」という名で、もう35歳にもなる。十分すぎるほど大人であり、松本は「帰りたくないというのであれば、それも娘さんの人生なんじゃないか」と思う。でも・・母親いわく「普通の生活をしているなら、せめて手紙くらいはよこすはずです。憎しみ合ったことがあったとしても、歳月がお互いを許し合わせているはずです」と。

59松本はその娘さんをガイドに指名して、ローマの観光をしている。勝ち気で、プライドの高いますみに、なかなか本題を切り出せない。ふと緊急の場合のためにと、ますみが渡してくれた自宅の住所を訪ねてみることにする。・・場末感がただよう、薄汚いアパートに入る松本。そこに泣き叫びながらドアを出て、イタリア人の男に髪の毛を掴まれて引っ張って行かれるますみを目撃する。二人とも下着姿だ。松本は、一目でそれがどういう状態なのか、悟る。やはり、両親の推測は当たっていたのだ。

33翌日、ますみは「最初から両親に頼まれて来た人だとわかっていた」と話し始める。「父と母に伝えて下さい。私はもう日本へ帰る気はありません。このローマで過去を忘れてイタリア人として一生終わるつもりでいます」と。なにが彼女にそう決意させるのか? 両親に対する憎しみ? ますみはちょっと涙ぐんで首を振る。挫折した自分を見られるのが辛い? それも首を振る。一緒に暮らしている男性への愛? ますみは哀しげに微笑んで「ええ、その通りですわ」と。松本は、せめて元気で暮らしているという便りを、両親に出してあげてくれと頼む。

わかりました、とますみは答えるが、松本は「嘘を言っている」と思う。「あの男を、彼女は愛していない・・ たぶん手紙も書かないに違いない・・」と。42ふと見ると、ますみが地面の輪立ちに触れている。「私、このローマ帝国の遺跡を歩くのが大好きなんです。崩壊した、ただの石の荒地を歩くのがとても好き。ここを歩くだけでも、ここで一生を終える価値があると思っています」と。そこで松本が胸ポケ36ットから、薄汚れた人形を取り出す。これはますみが小さい頃に一時も離さず手に持っていたマスコットだった。もともとはそれほど汚れていなかった。実はますみがいなくなった後に、母がそのマスコットをずっと手にとって大切にしていた。何年もたって、今のように「汚れ」がしみついてしまった。その事実を知り、ますみは嗚咽する。輪立ちの上にしゃがみこみ、顔を覆うますみ。松本は言う「せめて手紙は書いてあげて下さい、無事に生きていること04だけは知らせてあげて下さい」と。

松本が帰りの飛行機に搭乗すると、ますみが隣の席に座っていた。曰く「イタリアは私の人生そのものです。まだ、私の夢が失われたわけではありません。現在も絵の勉強は続けています。自分で納得できるまでは、こっちで頑張るつもりでした。・・でも、あのマスコット人形をみて、少しホームシックになっちゃいました」と。頑固なますみも、ようやく両親に会って、今までのことをいろういろ話してみる気になったのだ。成功報酬が加算される松本はホクホク。和やかな雰囲気で、エンド。

親子の葛藤というのは、永遠のテーマだろう。この場合は、娘の火を噴くような意志と、親の安定志向のぶつかり合いね。そりゃ、親は子供に「平穏で無事な生活」をして欲しいに決まっている。異国の地で、何をやっているのか、さっぱり分からないというのでは、不安で仕方ない。もともと、ますみはイタリアへ絵画の勉強に旅立ったのだ。それが今では旅行のガイドという噂で、親への連絡はまったくない。そりゃ、心配するよ。

でも・・ますみの「イタリアへの想い」は本物だった。心底イタリアを愛し、イタリアの地に骨を埋める覚悟だった。彼女は、イタリアの遺跡にある「輪立ち」に目をやり、触れながら、こう述べる。

何千年も前の人が、馬車が・・ 石にくぼみが出来るほど行き来した・・ 人を愛し、憎み、ここで生きていた・・ 目をつむると、その人達の姿が現れ、馬車の音が聞こえてくるみたい。

 

この輪立ちとマスコットにしみついた「汚れ」。松本はやさしく諭す。

石にさえくぼみを作ってしまう輪立ちの凄さに感動するあなたなら、そのマスコット人形を、毎日のように何度も何度もいとおしんで触れていた、お母さんの手の温もりもわかってあげられるはずです。

さて、ますみは結局のところ、現在しあわせだったのだろうか? 個人的には「しあわせだった」と思う。焦がれるほど好きなイタリアにいて、不本意な旅行ガイドをしているが、絵画への夢はあきらめていない。まさに「夢半ば」だったわけね。故郷どころじゃない、突っ走っていたのだ。両親に連絡しないのも、彼女の一途な性格もあるだろうが、実際、その必要を感じていなかったんだろう。なにしろ「前しか向いていない」人だからね。ま、両親はえらい迷惑なんだが(笑)。

しかし、薄汚れたマスコット人形は、巧みな小道具だった。私立探偵、松本さんにアッパレあげてください。あれは泣くよ。親を持つ子なら、誰だって泣く。自分がどれだけ親の心を台無しにしてきたか、一瞬のうちに悟るよ。ローマの遺跡をバックにしたあの一コマ、素晴らしい弘兼さんの仕事。ひとりは少しうつむいて悄然と立ちつくし、もうひとりは顔を覆ってしゃがんでいる。背景には壮大なローマの遺跡。なんだか叙事詩の「ある風景」を見せられている気分だ。こうしてみるとますみの涙も、もはや識別できない。大きな歴史の流れの中で生まれた小さな涙。人を愛し、憎み、ここで生きてきた・・ ますみがローマの歴史の一部になった瞬間だと思う。技あり!の一コマですね。

最後に、親と子の関係について。ひとつだけ、確かなことがある。親はいつも、わが子のことを思っているということ。思わない親がいたとしたら、それは既にして親ではない。遠い異国の地に旅立ち、53何をしているかも分からない。そうした時に、やきもきするのが親というものだ。これは、子供がいくつになっても、たぶんそうなのだろう。私は48歳になるけど、両親にしてみれば、まだ「こども」なのだ。あるいは「こどもであってほしい」のだ。自分のことを常に思ってくれる存在として、親はありがたいものだと、実にそう思う。ますみは、一時帰国して近況を親に語ることにした。それでいい、そうあるべきだ。以上、漫画でBlogのコーナーでした。