スマホと英語と戸田奈津子と安部公房

2011年から、英語を自分なりに勉強している。といっても、通勤電車内のスキマ時間のみです。栗東から乗って、iPodでいくつかチェックしたあと、おもむろに英語の勉強にとりかかる。でもいかんせん、やり始めるのが「石山か膳所くらい」のことが多い。そこから京都までだと、15分切るんですね。15分以内でできることって、たかが知れている。いつも気がついたら京都駅に着いちゃってる。澱のように積もっていく「中途半端感」。なんだかな~( -_-)

私の勉強法は、もっぱら語彙です。DUO3.0という、ナイスな書籍がある。これを電子化してiPodに入れて、満員電車内でコソコソ勉強するわけ。でも・・15分未満で、そんなにできるもんじゃない。あれから三年以上たつけど、ようやく二巡目くらいですよ。目標は、とりあえず四巡すること。それでなんとか、高校三年生時くらいの語彙に戻ればと思っている。ヒアリングとかは、まだ全然考えていない。そりゃそうでしょ。英語つかう機会なんてないもん。現在の「閉じた生活」の中で、英語を使うシーンは、まずあり得ない。今やってるのは、純粋に「趣味」としてです。英単語を覚えるのが楽しいから、やっている。ただ、それだけ。


嫁が渡してくれる新聞の切り抜きに、こういうのがあった。映画字幕翻訳者の戸田奈津子さんの言葉です。昨今の英語教育について、一石を投じています。

日本人はお題目のように唱えます。「英語やらなきゃ。英語勉強しなきゃ」って。(中略) 小学校から英語です。悪くはありませんよ。でも、日本は「英語、英語」と言うが余り、日本語が貧困化していませんか。



「グローバル時代」という言葉が叫ばれるようになり、かなり久しいと思う。なんで俺ら日本人って、英語に対して強迫的なんだろう? 島国にっぽんがオープンになる不安? かく言う私も、こうして英語を少しずつでも勉強するという背景には、「いつか将来、使う時がやってくる」みたいな「茫漠としたイメージ」を持っている。まったく具体的でないところが、雲をつかむようでちょっと空しい。ある種の予期不安なんだろうか。

最近、電車やバスでも若い人はスマホばかりですよね。でも、日本語力をつけるには本を読むしかないのです。いい文学作品を読むこと。速度は遅いけど、読めば、日本語の美しさを頭が感じ取って少しずつ身につくんです。何冊も読んでやっと日本語力が蓄積されていく。この時代、コンピュータがいくらでも情報をくれます。でも、情報は教養ではない。人間の価値を決めるのは教養です。自分で本を読み、考えなければ、教養は身につきません。



確かに、電車内でスマホをいじる人が多い。ひどい人は歩きながらとか。戸田先生がおっしゃる通り、スマホが「本を読むという文化」を侵蝕していると言えるかも。スマホという「魔法の板」は、自我の未熟な人間の脳をむしばむ。かのスティーブ・ジョブズだって、わが子の幼少時には、iPhone(iPad)を触らせなかったとか。それは、スマホが孕む危険性を熟知していたからだ。

スマホと読書の関係をぼんやり考える。ふと安部公房の「魔法のチョーク」という短編が頭をよぎった。貧しい画家のアルゴン君が、あるチョークで描くと何でも実物になることに気づく。食べ物、財布、美女・・ 彼はイヴを描いて世界を設計しようと企む。しかし結局、イヴに殺されて彼は絵になってしまう。そして言う「世界をつくりかえるのは、チョークではない」と。

現代に置き換えていうと「世界をつくりかえるのは、スマホではない」ということになる。スマホに夢中になっている人って、スマホの多用途性に溺れていると思う。「多用途性≒魔法」だよね。そこには情報や享楽があふれている。しかしながら、創造性は極めて乏しい。そう、ここでのポイントは「創造性」です。アルゴン君は錯覚して、世界さえも創れると思い込んだ。この視野狭窄って、こわいね~。スマホに刷り込まれた罠、そう言い切ってしまおう。

「情報は教養ではない」という言葉。現代人が忘れてはならない教訓だと思います。魔法としてのスマホではなく、リアルとしての読書。ポストモダンに生きる現代人は、そりゃ口当たりのいい「魔法」に飛びつくわな。だって、楽ちんだもん。でも、魔法の一番こわいところは「思考停止」を導きやすいこと。行き着く先は「知の空洞化」だと思う。

そういう意味では、いま俺がやっている英単語の暗記も「記号をひたすら覚えているだけ」なんだろうか? いや、考えてみると、その通りだと思う。毎日、虚空に竹槍を「えいや!」と突き刺しているようなもんかな。「まあ、無駄にはならんだろう」くらいの消極的な姿勢で取り組む英語学習。まあ、好きだからいいんだけどね。

最後に。結局、ポストモダンって「選択肢が多すぎる地獄」なんだよね。電車内でやる作業だって、挙げ始めるときりがない。情報も多すぎる。魔法のチョークを目の前にして、盲目的に依存していったアルゴン君を想う。「世界をつくりかえるのは、チョークではない」☞ 半世紀以上も前のこの言葉は、現代人、とくに若い人が肝に銘じるべきだろう。俺は今日も、電車の中で英単語をひとつふたつ、覚える。魔法のないリアルな一歩を噛みしめながら。着地点が見つからず、書き散らかしてすんません。このままアップいたします。