Steve Jobs伝記(上巻)を読んで(2)

前回に引き続き「Steve Jobs伝記(上巻)」の感想を。今回は彼の得意技「現実歪曲フィールド」について触れてみたい。アンディ・ハーツフェルドによると「カリスマ的な物言い、不屈の意志、目的のためならどのような事実でもねじ曲げる熱意が複雑に絡みあったもの」という定義になる。これにより、たいていの人間は、ジョブズが無茶苦茶なことを言っているはずなのに、いつの間にか丸め込まれて納得してしまう。本人がいなくなるとその効果は消えて「さあ、どうしよう」と青い顔になるというわけ。名付け親のバド・トリブルによると、「スター・トレック」の「タロス星の幻怪人」という回から思いついたらしい。宇宙人が精神力だけで新しい世界を生み出すお話。

いかにも迷惑な「技」だけど、この魔力があるからこそAppleに関わる人々を鼓舞して、革新を次々ともたらしてきたわけだ。不可能を可能にする催眠術のような力。「ジョブズはよくウソをつく」といわれる。しかし実際は、もっと複雑な話である。つまり、ジョブズがウソをつくときは、ジョブズ自身は「0.1%の狂いもなく事実」として発言する。だから、ジョブズは自分自身をさえ完璧にだますのだ。そのウソを信じ切って血肉とするからこそ、他の人たちを自分のビジョンに引きずり込めるという構造ね。

現実歪曲フィールドの根底にあるものは、世間的なルールに自分は従う必要がない、という確固たる信念である。子ども時代にも、そうした「現実を曲げること」に何度も成功している。頑固で反抗的な個性。養父母はいつも「あなたは捨てられたんじゃない、私たちに選ばれたのよ」と言い聞かせてきた。自分は特別な人間であるという自覚が育まれる。選ばれた人間、悟りを開いた人間。

ジョブズの世界観で特徴的なのは、なんでも二分してしまうこと。人は「賢人」か「ばか野郎」しかいないし、その仕事は「最高」か「最低最悪」しかない。あるいは最低といったん評価しておいて、後日平然とパクるということも、ままあったらしい。大胆な転回テクニック(笑)。

温めていたアイデアを話して「大ばか野郎」と言われたのに、翌週「すごくいいことを思いついたぞ!」と私のアイデアを教えにきてくれたりするんです。「先週、私がお話したことですが?」と言っても「うんうん、とにかく進めてくれ」で終わりです。

ジョブズは、人の感情というものがよく分かっている。直感的に人の心を読み取り、相手のうそや弱点を見抜いてしまう。狙いすました一撃や、不意打ち、おだてたりすかしたり、泣きを入れてみたり・・相手の心の揺さぶりにかけては、名人級ということになる。象徴的なコメントを紹介する。

他人の弱点をピンポイントで把握できるのがあの人のすごいところです。どうすればかなわないと思わせられるのか、どうすれば相手がすくむのかがわかってしまうのです。これはカリスマ性があり、他人の操縦方法を心得ている人に共通する資質だと思います。かなわない相手だと思うと弱気になり、彼に認めてほしいと願うようになります。そうなったとき、褒めて祭り上げれば、あとはもう意のままというわけです。

仕事の成果を上げるという面では、彼の個性はとても有用かもしれない。しかし・・恋人や結婚、そして夫婦生活となると、どうだろう? 彼の複雑怪奇な個性を受け止める女性って、どうなんだろう? 1989年夏にジョブズがプロポーズした女性、ティナ・レドセは、とても耐えられないと思った。数え切れないほど多くのケンカ。誰に対しても親切なレドセと自己中心的で冷酷なジョブズ。気遣いができないらしい人に心から気を配るのは誰にとっても大変すぎる。レドセはこう漏らしている。

偶像「スティーブ・ジョブズ」の妻には向かないのです。いろいろな意味で。私的な関係では、あの人の残酷なところが耐えられませんでした。あの人に傷つけられるのもつらいし、その横に立ち、あの人がほかの人々を傷つけるのを見るのも嫌でした。つらくて、疲れ切ってしまうのです。

ジョブズと別れたあと、彼女はメンタルヘルスに関して学ぶ機会があり、ジョブズが「自己愛性パーソナリティ障害」であると確信する。まさに「腑に落ちる」という感じだったと。参考までに、以下にDSM診断基準を掲げておく。レドセが一番「腑に落ちた」のは、7番の「共感の欠如」です。レドセ自身が「共感の女神」みたいな人だっただけに、正反対というわけ。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または団体で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

4. 過剰な賞賛を求める。

5. 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

最後に。ジョブズの凄いところは、こうしたパーソナリティの「歪み」があっても、ネガティブな方向へ一方的に堕ちていくことはなかった。というか、何度か危ない橋を渡っても、奇跡的にカムバックして、最終的にはPCやモバイル端末の世界に、嚆矢となる偉大な業績を残した。それは一種の奇跡であり、やはり天才と認めざるを得ないと思う。ちょっと長くなりましたが、Steve Jobs伝記の上巻を読んで、ちょっと感じたことを記しました。