改札口で・・「人間交差点」より

体調が今ひとつで、Blog書けませんでした。ここ二週間くらい、睡眠リズムが狂ってしまい、Blogどころではなかった。仕事をこなすのに精一杯でした。ようやく落ち着いてきたので、また書き始めたいと思います。こうしたちょっとした「波」は、ちょこちょこ来ますね~(汗)

さて今回は、漫画でBlogいってみたい。「人間交差点/矢島正雄作 弘兼憲史画」より「改札口で」という短編をネタに語ってみます。まずはあらすじから。

江田と水沢という二人の中年男が、十年ぶりに飲んで語り合う。江田は水沢の知らぬ間に結婚し、子供ももうけていたが、五年前に離婚していた。それどころか、彼は出社拒否から堕落した生活に身を持ち崩していた。最近では、自分の子供に会っても可愛いとも思わないという。別れ際に江田がぽつりと言う「おまえ、自分の子供見てて辛くなることはないか? いや、もっとハッキリした感情だな、嫉妬さ・・ 感じたことないか?」と。ぎょっとする水沢「自分の子39供の何に嫉妬するんだ?」と。江田は言葉を濁して、二人は別れる。


水沢はずっと江田の言葉が引っかかっていた。心配になり後日、彼は江田のアパートを再訪する。しかし江田は転居していた。そのまま行方知れず。混乱する水沢。どうしても気になる彼は、夏休みに家族と別行動で故郷の福井県に行くことに決める。江田は福井の実家に戻ったのではないか?と考えたのだ。

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・・江田は実家に戻ってはいなかった。父親は、ここ十年ほど顔も見ていないという。曰く「まことに恥ずかしい話ですが、あいつの人生はもう壊れております。今や借金に追われて、各地を転々としているんですよ」と。呆然とする水沢。息子の惨憺たる状況を語るうちに、泣き始める父親。

11水沢は結局、妻子の乗る新幹線に合流し、もともとの約束通り岡山(妻の実家)へ行くことにする。もちろんあれ以来、江田からの連絡はない。一ヶ月後、水沢は駅売りの夕刊に江田の顔写真を発見する。「元エリートサラリーマン 寸借詐欺で御用/借金地獄の逃亡生活」との見出し。駅のホームで静かにその記事に見入る水沢。彼は「人生の改札口」について考える。「江田は違う改札口を出てしまった。私は改札口を変えずに何かを求め始めているのかもしれない」


まず「子供に嫉妬する」って、どういうことだろ? もちろん、まともな感情ではない。でも矢島正雄氏が呈示されるのだから、世の中にこうした「病んだ感情」は、おそらく存在するのだ。おそらくこういうこと。子供と大人の分かれ目って、結局「もらう側と与える側」ということじゃないかと。人生のどこかで「与える立場=大人」に変わるときが来る。仕事をして家庭を持つということは、すなわち「与える」ことに他ならない。要するに「与える」ことを素直に喜べない人格は、相当に生きづらいと言えるだろう。

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江田という人物の病根は「依存」である。「無邪気に依存できる」子供の立場が、妬ましいというわけね。依存の残る人は、約束が守れない。社会性が築けない。というか、江田は五年間はちゃんと家庭も持ち、社会人としてちゃんとやっていたわけだ。どうして「人生の落伍者」に成り下がってしまったのか。どこからタナトスが、彼を支配し始めたのか。

ニーチェは「人生とは、一本のロープを渡るようなものだ」と言った。つまり「落ちる」ことは、極めて簡単だということね。ふと気を緩めるだけで、落ちることができる。もちろん、罠や悪意、厳しい試31練・・いっぱい「ゆさぶり」はやってくる。例えば、目の前の小さな約束を破ることから始めてみればよい。そして次の約束も破る。それをどんどん続ければ、あっという間に「江田のように落ちる」ことが可能だ。おそらく落ち始めると、加速がつく。なんて気持ちいいんだろう。そう、堕ちることは「快楽」に他ならない。そうして悪魔が彼を取り込んでいく。もはや、彼はタナトスから逃れることは出来ない。恐ろしいけど、こうした「悪魔」は、我々の生活の背後で、常に手ぐすねを引いているのです。人生って、デリケート。

「改札口を変えないこと」って、なんだろう? 江田は「違う改札口」から、人生を出てしまった。矢島正雄氏のストーリーでよく出てくる思想は「身の丈に合った生き方こそ、幸せを呼び寄せる」ということなんだな。つまり「改札口を変えない」ことは、平凡に生きるということです。平凡って、がっかり? いや、そうじゃない。たとえ平凡な人生だとしても、立ち止まっては「ロープから落ちてしまう」。人生は綱渡りなんです。前進するとは、目の前の小さな約束をコンスタントに守ること。約束を反古にしないという態度は、極めて貴いと思う。それがごく普通の約束だったとしても。例えばそれを50年続けたとする。それはすでに「非凡」である。

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「改札口を変える」というのは、結局「人生に飽きている」人がすることだ。「改札口を変えずに生きる」ならば、人生は退屈です。そこに珍奇さを持ってきたら、ちょっとはリフレッシュできるかもしれない。でも残念ながら、それは一瞬だ。また「退屈さ」という重しが、じわじわ生活にのしかかってくる。・・ここで不可避なのは、ずばり「平凡さという十字架を背負う覚悟」だと思うのね。それは自分の人生に対する責任とも言える。別な表現をすれば、ある意味の「あきらめ」なのかもしれない。「自分の改札口は、結局これしかないんだ」というあきらめ。でも、この「あきらめ」は、いぶし銀。人生という難行は「金」では乗り切れない。人生って、長いんだから。

まるちょうは、すでに改札口を若干変えています。何度も人生のレールから落っこちそうになった。そのたびに、運命のしっぽにしがみついた。すでにまっとうな医師ではありません。でも46歳になり、それなりに「約束を守れる」大人になったと思う。今、平凡である「ありがたみ」を、ひしひしと味わっています。もちろん「改札口は変えずに」これからも生きていきたいと思います。以上、漫画でBlogのコーナーでした。