イカとして生きるか、タコとして生きるか

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりの考察をしてみたい。

<質問>私は自分の頭で考えることがひどく苦手です。いつも気持ちで行動しています。もしくは損得です。じっくりと考えたいと思うのですが、だめなのです。ま、いっか、でその時その場を過ごしてしまいます。このまま自分の考え一つ持てずに、これ以上年を重ねたくないのです。どうしたら自分の頭でじっくり考えられるようになりますか? どうしたらはるきさんのように自分を確立することができますか?

<村上さんの回答>自分の頭でものを考えるというのは、一種の訓練ではないかと僕は思っています。ある程度意識的に身につけていかないと、普通の場合、なかなか自然には身につきません。「自分の頭でものを考える」というのは、かなり疲れます。みんなと同じことをしたり、誰かに代わりに考えてもらったりした方が、ずっと楽です。だから、あなたがまず決めなくてはならないことは、イカになるか、タコになるかという選択です。イカというのは異化(ほかの人とは違うようになること)、タコというのは他個(みんなと同じようにしていること)のことです。そのへんの決意がなく、中途半端に自分の頭でものを考え始めると、かなりきついですよ。ほんとに。

<まるちょうの考察>私事になりますが・・ まるちょうは24歳頃まで「自分の頭でものを考える」ことをしませんでした。上記の言葉を借りると、まさに「他個(タコ)」でした。流れ流されて・・ あれは緩い自殺願望だったんだろうか? ほんとに生きていこうという構えがなかった。自己に対する懐疑の放棄。「自分らしさ」について、真剣に考えることがなかったように思う。タコという生き方は、危ない橋を渡らない分だけ安全だけど、何も特別なことは起こらない。心理学的には、自我が育たない。20代の私に、大きな落とし穴が待ち構えていた。

転機はずばり、失恋。自分を真っ向から否定されたような気がした。「これでいいんだろうか?」という根源的な問題意識が生まれた。上記の「異化(イカ)」の発生ですな。「自分らしさ」を少しずつ考え始める。でも、そこで遭遇するあれこれの困難。他の人とは違うようになることって、しんどいし、それなりにリスクがつきまとう。タコからイカへのシフト・チェンジにおいて「着陸」がうまく行かない場合、緊急事態も発生しうる。私の場合は、双極性障害の罹患やね。これで「失われた10年」へ突入してしまった。どつぼにはまった。

ま、それは置いといて・・イカという生き方を、しっかり根付かせたときに変わるもの。それは世界をみる眼だと思うのね。タコでは見えなかったものが見えてくる。形のない「何か」が捉えられるようになってくる。それはやはり自分の心の中で「自我」が形成されるからだ。じゃあ、イカになって全てOKかというと、そうでもない。イカという生き方は苦しい。村上さんがおっしゃるように「決意」が要る。芥川龍之介の言葉を引用してみる。

人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、村雀の声、行人の顔、・・・あらゆる日常の瑣事のうちに堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

「瑣事に苦しむ」とは、日常の細かいあれこれに、いちいち自分なりの意味づけ、位置づけを定めつつ生きる、ということ。ここで頭を存分に使うわけね。これ、非常にめんどくさい。でもそうした「面倒臭さ」を乗り越えないと、世界は見えてこない。「堕地獄の苦痛」とはよく言ったもので、そこで苦しみ抜いた者だけが到達しうる境地がある。苦しみが深ければ深いほど「世界を見る眼」は、あまねきものとなる。

ぶっちゃけ、村上さんを含めて、歴史に残るような人は、みなイカです。じゃあ、みなイカになればいいじゃん? しかし、みながみなイカだったら、うるさくて仕方ないよ。「出るイカは打たれる」とも言いますね(笑)。それじゃ、どうするか。賢い人はみな「タコのふりをして、実はイカ」という生き方をしていると思う。イカって、実は孤独なんです。というか「我が道を行く」というのは、実際そういうことだから。だからイカって、結構地味です。村上さんも、リアルではすごく地味です。「走ることについて 語るときに 僕の語ること」なんか読むと、そうした「地味さ」が、ひしひしと伝わってくる。イカとしての十字架を、しかと背負っておられるな、と感じる。

総括。タコよりイカがよい。幸福になるためにはそうした方がいいと、かの芥川さんもおっしゃってる。要は方法論ですね。一番大事なのは、村上さんのおっしゃる通り「決意」だと思う。それこそ「イカとしての十字架を背負う」決意。そうすると必然的に、孤独に耐える必要が出てくる。あるいは「孤独を愛する」というかね。まるちょうは「隠れイカ」という生き方を提案します。群衆の中にあって、しかと「ぶれない自分」を持った人。質問者のように「どうしたら?」と意見を求めること自体、タコを吹っ切れていない。イカという生き方は、自分を未知なる海へと放つことなのです。それを恐れないこと。それが「決意」だと思います。

以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。