パーソナリティ障害/岡田尊司著(2)

前回に引き続き「パーソナリティ障害/岡田尊司著」より。#2「まるちょうの『生きづらさ』について」と題して、文章を書いてみたい。まるちょうは今までの半生で、PDを発症したことはありません。前回述べたとおり、幼少期に両親の愛情をたっぷり得ていたので、自己愛が十分に育っていたと思います。ただ本書を読んで、自分の性格の偏りがどんなものか、再認識させられる結果となりました。

まるちょうにとって「人生の危機」は、26歳の研修医の時。殺人的な仕事のストレスから双極性障害を発症したわけだが、その背景に上記の「性格の偏り」があったように思う。おそらく、社会に出るまでにそうした「偏り」を少しでも矯正できていれば、無事に研修医時代を乗り越えられたかもしれない。まあ、人生に「たられば」は無用なのですが(笑)。

さて、まるちょうの「性格の偏り=パーソナリティ」とは「スキゾタイパル(失調型)」と呼ばれるものです。ひとことで言うと「頭の中で生きている」タイプ。奇妙でユニークな思考や直観が常に生活や行動に影響を及ぼしている。何も考えていないようだが、頭の中の思考は驚くほど活発で、常に頭の中で対話していたり、自分に向かって語りかけている。それが独り言や思い出し笑いになって、出てしまうこともある。そうした思考や直感は非常に独特で、常識を超越しているため、事情を知らない周囲の者には、風変わりに映る。通常の流儀と食い違ったり、かけ離れることも、このタイプの人は頓着しない。自分のスタイルに従い、マイペースで生きていこうとする。


スキゾタイパルな人は、内的な世界に常に生きている。精神内界の旅こそが、彼の人生なのである。外面的な生は、彼にとってそれほど重要でない。つまりベースに観念論的志向があり、超越的な存在や非論理的な思考に親和性を持つ。文学者や宗教家、占い師、アーティストや哲学者として大成することもある。他、技術革新に関わる仕事や精神科医など。どこか異星人のような、浮世離れした雰囲気を持っている。下手をすると変人視されて孤立したり、疎外されることもある。具体的な人物例として、精神分析学者のユング、文学者のヘッセ、漱石などが挙げられている。

一般論が長くなった。話をまるちょうの場合に戻そう。今、自分の半生を振り返ると、まさにスキゾタイパルの傾向があるんだけど、親はそんなこと知る由もない。わりと勉強はできる方だったから「実務的なことはいいから、お前は勉強しとけ」みたいな関わり方だったように思う。私は自我のうすい受動的な子どもだったから、とりあえず勉強していた。日常的な瑣末な仕事は、することもなく・・ ま、その結果として医学部に合格して、医師への道が約束されたわけだけど・・ 次の部分を引用する。

スキゾタイパルの人は、身近なことや、人付き合いが苦手である。抽象的な話を好み、現実のことよりも、非現実のことに興味を持つ。そういう傾向から、どうしても空ばかり見ていて、穴に落ちてしまったギリシャの哲学者に似るところがある。足元がおろそかになりがちなのだ。

26歳のとき、まさに「穴に落ちてしまった」んだね。うまいたとえだ。なんか「ノルウェイの森」を思い出すね(笑)。念のため言いますが、両親には感謝こそすれ、怨みなどは一切ありません。親の上記のような関わり方が、そうした悲劇を生んだとしても、それは自分の運命だと受け止めている。というか、26歳からの「地獄の10年間」から生還した後だから、こう言えるのかもしれないけど。36歳にお蝶夫人♪と結婚して、私の人生は急激にひらけた。つまり、現実的なこと、日常的な問題の処理を、一家の長として任される立場になったのだ。

一番象徴的だったのは、2009年の自治会長になってしまった時だろう。右往左往しながらも、お蝶夫人♪の大いなる支援のもとに、なんとか大役を乗り切ることができた。すごい達成感だった。自信もついた。お蝶夫人♪はスキゾタイパルと対極的な、リアリズムの中で生きる人である(笑)。しかしだからこそ「頭の中で生きる」傾向のある私を、現実の中へ引き戻してくれる。いわゆる「常識」がどのへんにあるのかを、具体的に示してくれる。本書でも「スキゾタイパルな人は、社会へのコーディネーター役が必要」と記されている。つまり、お蝶夫人♪という人は「補完という意味において」、まさに運命の人だったわけね。これはまさに、神の恵みだと思っている。

さらに、ある程度まとまった期間、職業的な実務を経験するということも重要。内科医というキャリアが、1992年から細々となんとか続き、1998年に半年休職のあと、2000年以降は、徐々に仕事量を増やして継続できた。これもすごい自信になっている。たぶん、1992年に病に倒れて、そのままキャリアが途絶えていたら、今の自分はなかったと思う。医局の先生方、同期の先生方に感謝しなければならない。

総括すると、スキゾタイパルの人は自閉的になり、孤立してしまうとよくない。「単なる変人」で、人生を終える可能性大である。あるいは、被害関係妄想や迫害妄想などを抱くようになり、精神的な失調状態(幻聴など)を引き起こす。例えば漱石などは、そうした症状を体験していたようだ。妻鏡子の「漱石の思い出」に詳しい。できるだけ、周囲とのコミュニケーションを欠かさないこと。ただし、最後に面白い指摘があるので、引用しておく。

同じ環境にずっといることは、人間関係が濃厚になり、スキゾタイパルな人には苦手な状況を作りだしやすい。強迫性PDの人は環境の変化に敏感で、うつの原因になったりするが、スキゾタイパルな人にとっては、環境の変化はむしろ好都合な点も多い。漱石もそうだったように、リフレッシュした新天地が、スキゾタイパルな人にとっては、古い根のない耕しやすい土壌となるのである。



これ「うつ病新時代/内海健著」で指摘されていた、双極2型障害の病前性格と通ずる部分があると思う。つまり「閉塞・停滞の忌避」「対人過敏性」である。これはこれで話のネタだけど、長くなりすぎるので割愛。でも非常に興味深い。例えば、私は再診の患者さんよりは、初診の患者さんの方が、どこか安心するのです。これ、解る人はエライ(笑)。長くなったので、これでオシマイにします。