女という生き物を知るためには?

村上さんのQ&Aのコーナー! 今回も「そうだ、村上さんに聞いてみよう」から質疑応答を抜粋して、まるちょうなりに考察してみたいと思います。

<質問>村上さんは人付き合いが少なく、人見知りもする方だけど、そのわりに大勢の女性と接する機会が多い(多かった)のではないかと思うふしがあります。どのようにしてお近づきになっていたのでしょうか。私は二年間付き合った恋人にふられ、ショックからは立ち直ったものの、女性に縁のない生活を送っているせいか、新しい恋はなかなかみつかりません。参考のため、どうかよきアドバイスをください。(26歳 プログラマー) 

<村上さんの回答>人見知りをするのと、女性とつきあうのは、ある場合には「べつもの」です。女性を知るためには数多くの女性と知り合わなくてはならないかというと、そんなことはありません。一人か二人の女性を本当に深く知れば、世界中の(ほとんど)すべての女性のことが理解できる、ということだって理論的には可能です。それからある程度年をとれば、現実的なテクニックのようなものも身についてきます。

要するに、あなたぐらいの年齢のときには、そういうことはあまり気にしなくてもいいということです。なんとかなっちゃうものです。大事なことは、少しでもいいから、女性を理解しようとつとめることです。彼女たちがどんなことで喜び、どんなことで傷つくのか、それをあなたなりに理解することです(男とはけっこう違うんです、これが)。そうすれば、それなりにうまく女性たちとつきあっていくことができますよ。


<まるちょうの考察>村上さんのアドバイスは、とても同感できる。まるちょうにとって「女という生き物」が、実は「男という生き物」とは別物である、ということに気づいたのは、医学部四回生(23歳)の頃だった。遅すぎるって?ほっとけ。しかしだね、その時の衝撃は今も忘れない。「なに?なんなんこれ?」あのうろたえぶりは、今の自分からすると滑稽ですらある。唐変木に突き刺さった、女の棘。そしてその「棘」の向こうに見える、「世の中」という抽象的なもの。あの「棘」は、満足した豚だったまるちょうに、致命的な欠落があることを知らしめた。

危機感を抱いた医学生まるちょうは、まず柴門ふみの「女ともだち」を読み始めた。初め、全く理解できなかった。女の感性、痛み、喜び、生理。。 しかし何かしら「ここには重要なことが記されている」という直感があったので、貪るように読んだ。読めば読むほど、まるで自分が不具のように思われた。強い不安と混乱。

それから眼のくらむような紆余曲折があって、36歳にお蝶夫人♪と結婚。結局私の「女を深く知る」という体験は、ここから始まったのです。そして、まるちょうが知る「女という生き物」は、お蝶夫人♪ただ一人です。でも村上さんがおっしゃる通り、「女という生き物」を知ろうとする時、彼女一人で十分だと思っている。つまり数じゃなくて深さということね。

だから、特定の異性と長く付き合うというプロセスは、とても大事だと思う。そこには「辛抱や忍耐」が入ってくる。長く付き合うというのは、そういうことです。その中で、自分が変容し、相手も変容する。村上さんは、その相互作用を言ってるのね。相手を理解しようという姿勢がある限り、この変容は続く。そしてその度に、新しい自分を発見することになる。

「性差」について、深く知ること。知れば知るほど、違うことに気づく。でも、思うんだよね。ここで「敵対心」とかが出てきちゃうと、おかしいことになる。「だから男っていうのは、ガサツで鈍感で」「だから女ってやつは、結局どっちやねん!」みたいな。その延長線上に「男と女と、どちらが優れているか?」みたいな論議になっちゃうと、とても残念です。アホ丸出しです。そうした視点からは「相互理解☞変容」というプロセスは生まれない。思考停止。

話を戻して、女性を深く知ると分かってくるもの。ひとつだけ挙げるとすると、自分のステレオタイプな女性像が、まったくの幻想だと分かる。ほんま幻想なんですわ~。なんで若い時って、あんなにステレオタイプなんだろうね、まったく。実感として「女」を知るためには、肉を感じることである。それ以外にない。いくら頭で知識を詰め込んでも、女の「肉を感じる」というプロセスがないと、ちゃんと重みのある知識として根付かない。結局それこそが「深く知る」ということなんだよね。それでようやくステレオタイプから解放されるわけ。現代の草食系男子の最大の弱点がそこにある。

そうか「肉」なんだな。書いてて分かってきた。「肉」について誤解のないように、もう少し記述する。ここでいう「肉」とは・・生理、あるいは現実です。一切の想像を排した「その女の現実」です。男性にとって都合の良い、あるいは悪い、すべての現実です。それに直に触れることから、すべてが始まる。要するに、それこそが「女性を受け容れる」という行為であり、包容力と呼ばれる資質なんだろうね。

総括。人見知りでも、女性と付き合うことはできる。ステディな相手と長く(辛抱強く)付き合うことにより、自分も相手も成長しうる。そして「相手の異質性」を理解できる。理解した上で、許せることができれば、自分のアイデンティティの根っこは幅広く、強固になる。そうして結果的に、どんな異性にも対応しうる「人格の器」が出来上がる。もちろん理想論ですけど、そうありたいものです。以上、村上さんのQ&Aのコーナーでした。