近況

近況をみっつほど。

ひとつめ。実父が携帯を持ちたいと言いだしたので、その契約手続きに同行した。父は御年80歳だけど、まだまだ壮健な人で異例の経歴を持っている。70歳を過ぎてようやく、自分が電気製品オタクであることを自覚したというね(笑)。デジカメとか最新のビデオとか、地デジTVとか、結構楽しそうに触っている。父がもう少し若い年齢で、パソコンという「魔法の箱」を知っていたら・・ それは可能性が広がったことだろう。しかし、やはりすでに傘寿。指導しようにも、もう息子二人は同居でないし。それに、ずっと本人も「そんなもん、要らん」と言い張っていた。父はまだ車を運転するので、万一の事故に備えて携帯が必須なんだけど、携帯もずっと「要らん」の一点張りだった。

そんな中、先月の上旬に家族で焼肉に行くことがあった。18時半に予約したんだけど、18時開始の方が都合よし☞すぐに私が携帯から電話を二本入れて修正。その早業を見て、父が「携帯持とうかな・・」とつぶやいたのだ。目の前で「携帯という文明の利器の威力」を見せつけられて、遅すぎるカルチャーショックを受けた父(笑)。私としても、車の件があるので携帯は持って欲しかった。私はauなので、やはり同じメーカーがいいし、高齢者向きのやつがどんなのがあるか・・ いろいろ調べて、今月11日を迎えた。実家最寄りのauショップへ行って、手続きする。父は元来、こうした手続きが苦手な人。横から邪魔にならない程度に補佐して、契約手続きの援助をした。銀行印なんて、もちろん木製で押印する面の丸っこいこと!「いつのやねん!」と横からツッコミ入れそうになったよ(笑)。


手続きは無事完了。携帯を手にした父は、どこか満足げだった。私としては、まず通話をしっかりできること。メールとかその他の機能はボチボチでよし。できなくてもよし、と考えていたんだけど、その晩に、なんと父からメールが届いた。それも絵文字入りで(笑)。ちょっと嬉しかったな。やはり、こうした機器の飲み込みは早いみたい。それからも、たまに絵文字入りのメールを送ってくる。ハートマークとか入れたりして(笑)。いやいや、あっぱれ。これからも元気で長生きして下さい、お父さん。(^_^)

ふたつめ。20日に胸部CT検査を受けた。昨年の肺がん騒ぎのフォローアップ。10月以来だから、四ヶ月ぶりとなる。前回の検査で「ほぼ大丈夫」とのコメントをいただいていたので、それほど心配はしていなかったけど、やはり実際にCTの検査をして診察を待つ段になると、やや心細い気がしないでもない。一時間くらい待たされて、診察室へ入る。CT画像を見て、大きな変化なし☞まずはほっと一息。詳細に観察すると、初診時の8月のCTと比べると「散布影」がほぼ消失していることを指摘された。確かにそうだ。今回の画像は、いわゆる「影が固定化してきた印象」ということになるだろうか。要するに、やはり微小な結核だった可能性が高いとのこと。総合内科外来をしているので、もらったんだろうな。

今後のフォローアップをどうするか。担当の医師は「どちらでも・・」と口を濁されたが、いちおうお願いしておいた。次回は半年後の8月です。人間ドックを受ける時分だな。不要だと思えばキャンセルしたらいいと思っていたのだが、帰ってお蝶夫人♪に事情を話すと「絶対に検査しておいて欲しい」と言われた。そんなに心配してもらって、僕は幸せ者です(笑)。というわけで、夏にもう一度念押しのCT撮ります。

みっつめ。相変わらず、いつ終わるとも知れない自炊作業をしています。これ終わらんと、楽器の練習とか全然できへん。でも、自炊をしていて「やはり良かったな」と思えるときもある。実は双極性障害が一番悪かった1997年から2002年にかけて、日記をこつこつ付けていた。レポート用紙や大学ノートに、体調に応じて無理のない範囲で書いていた。全部で20冊近くになろうか。これ「ツレがうつになりまして。」のツレさんも書かれているけど、精神疾患を持った患者が「自己を見つめ直す、今後の見通しを(可能なら)つけていく」という意味合いがあると思う。何より「文章を書くという作業」が、脳内のこんがらがった「何か」を整理する作用があると思うのね。あの頃、この短い日記をつけるために阪急東向日町駅前の喫茶店で、珈琲をすすりながらよく書いたもんだ。もちろん、体調が悪いときは外出さえ出来ない。

そうした「貴重な」日記が、ずっと実家の書棚に眠っていた。数年前に自宅に持って来たはいいが、結局読む気が起こらず、倉庫の奥に眠っていた。そこで、自炊の登場なのだ。こうした「倉庫に眠っている、実は自分にとって重要な書類」をPDFとして読み込んでiPadでいつでも見れるようにしておく。ふと「読んでみようかな?」という小さな意志で、寝床で横になって読めるわけだ。躁鬱病のどん底の自分。ある意味「自分の原点」だと思っている。でも、だからこそ重い。読み始めるのに「エイッ!」という思い切りが必要である。やはり何といっても「物理的に近い状態=寝床のiPad」でなければ、永遠に読めなかったと思う。自炊に感謝である。

※蛇足ながら・・ 2002年に、その「闘病日記」は終わっている。その年は、計らずも「お蝶夫人♪との出逢いの年」なのね。ちゃんと一個の人間として付き合える人を見つけて、「自己との語らい」としての日記を「お役御免」と感じたのだろう。今思っても本当に自然な終息だった。しかしあの「何かを書き綴る」という経験が、現在こうして文章を書く礎になっているのは、間違いないです。

以上、近況をみっつだけ記しました。