小説 40cmのペニス(後編)

お好みでBGMをお楽しみください。ちょっとしたスパイスになるでしょう。

Hotel California/The Eagles

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アフロヘアーふっさふさで黒のサングラスをかけた、裸体の黒人が室内に佇んでいた。丸長が目を奪われたのは、その異様に長いペニスである。だいたい40cmはあるだろうか。なぜ40cmって? そりゃ、30cmの定規よりは長そうだし、かといって50cmもなさそう。単にそれだけである。その40cmのペニスが股間から直角に、ずーんと突き出ていた。もちろんモザイクはかかっているのだが、作り物のようにも見えない。その圧倒的な存在感は、丸長の心をざわざわさせた。これが「さお師の暴れん棒」か! これが暴れるのか! 凄いんだろうか? いや、凄いに決まってる!

画面に釘付けになっているところで、不意にサンプル映像はオフになった。呆気にとられている丸長をあざ笑うかのように。彼の心には焦燥感が漂っていた。これはどうしても見たい! もう何も彼のリビドーの行く手を止めることはできない。ゴーサインが出てしまったのだ。男性のゴーサイン・・女性はどれだけ理解しているだろうか。そこには「インテリジェンス」と呼ばれるものは全くない。あるのは哀しい盲目の豚だ。豚が突進する。壁にぶつかって痛みを感じて、我に返るまで。阿呆そのものである。まるで誰かに操られているかのようだ。


まさしく操られるように、丸長は動きだした。まず、ズボンをはいてシャツを着る。そして、部屋を出てエレベータの脇にある、ペイテレビの券売機に千円札を挿入する。慌てていて、うまく入らない。部屋の外は守られた空間ではない。もたもたしていると、他の宿泊客がやってくる。丸長は動悸がするのを必死で抑えながら、慎重に千円札を挿入した。手はかすかに震えていた。・・なんとかペイテレビのカードをゲットしたぞ。そそくさと部屋へ戻る丸長。哀れな豚のように・・ブヒブヒ。

丸長は部屋に戻ると、すでに半笑いだった。こっちのもんだぜ、ベイビー。そこにはすでに、仕事で見せる「紳士」としての表情はなかった。リビドーに支配された「野獣」がそこにいた。女性は、この変化(へんげ)に嫌悪するかもしれない。でも考えて欲しい。彼は社会的には「優秀なMR」という堅いペルソナをつけて、日夜頑張っているのだ。「個室」という極めてプライベートな空間にいる彼に、まだその堅いペルソナをつけておけ、というのは酷な仕打ちだ。ペルソナの奥に潜む表情・・血を求める野獣かもしれない、自堕落なパンダかもしれない、自閉的なみの虫かもしれない。でも、そうした本当の自分をさらけ出すひとときがあって、ようやく人間は精神的なバランスを保っているのだ。だから、丸長のこの「半笑いの表情」を、誰も咎めることは出来ないのである。

ヘッヘッへッ・・トランクスをずり下ろす丸長。おもむろにペイテレビの視聴に取りかかる。リモコンのボタンを押すと、例のアフロ黒人が出てきた。やはり、ペニスは異様に長いぞ。ここまで長いとゴキゲンだな。相手の女性が映し出される。彼女はごくありふれたAV女優という風情だった。もちろん日本人。ヒーヒー言わされるはずの彼女は、しかし、何か丸長の期待に沿わない空気を醸し出していた。よく見ると、そこにある表情は「戸惑い」だった。無理もない、この長さだ。黒人が近づくにつれ、その「戸惑い」は「嫌悪と警戒」に変わっていった。眉間にしわが寄っている。ディレクターに向かって「ホントにやるの?」的な表情を振りまいている。

ここまで観て、丸長は「あれ?」という違和感に襲われた。予定と違うじゃないか。でも考えてみると、あの異様な長さは必要なのか? いやいや、冷静に考えろ、丸長くん。セックスするのに、あの長さは要らないだろ。たぶん、あの半分も要らないだろ。・・「オレ、オレ、オレの暴れん棒は?」 画面には「さお師たるアフロ黒人」と「嫌悪し警戒するAV女優」の、ぎこちないやり取りが延々と映し出されていた。盲目の豚は、自分の無知を自覚しようとしていた。ソクラテスさん、あんたは偉大だよ。振り上げた刀を、どこに振り下ろすかというより、刀自体が消え去ってしまった。じわじわくる虚脱感と自己嫌悪。

丸長はこの巨根の黒人を、もう一度見直した。これは奇形なのか? だいたい、この無駄に長いペニスは、通常はどのようにしまうのだろう? ペニスの先端が背面に達してしまう。あるいは先端が肛門のあたりに来たら、なんか不潔だし。長過ぎるペニスのせいで、小さい頃いじめにも遭ったかもしれない。銭湯や海水浴にも行き辛かったろう。そうした屈折が、彼をこんなAVの世界に追いやった・・ 丸長は勝手に浪花節的なストーリーを頭の中で作り始めていた。もうすでにアフロの黒人は「暴れん棒のさお師」なんかではなかった。世界の不幸を一身に背負う、哀れな異国の青年だった。

ふと気づくと、丸長の股間には干からびたイソギンチャクが付着していた。いや、イソギンチャクですらなかった。フジツボだった。一滴の汁も出ないフジツボだった。「世の中を海にたとえると、その海の千尋の深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそう(by 太宰)」な光景だった。今宵、広い世界のどこかで、これと同じようなフジツボ的哀しみがあるに違いない。丸長はラビリンスの無慈悲な魔力を想った。千円返せ、コノヤロー。丸長は冷蔵庫から小瓶のウイスキーを取り出して、グラスに注いだ。全世界のフジツボ的哀しみに、乾杯。丸長は一気に飲み干した。パサパサだった心に、少し潤いが戻って来たようだった。丸長は、一時の異常な高揚から冷めて、急激に眠気を感じていた。少し寝よう。まだ画面では、出口のないやり取りが続いていたが、もう見たくもなかった。彼はテレビのスイッチを切ると、浅い眠りに引き込まれて行った。(了)