ツレがうつになりまして。/佐々部清監督(1)

tureutu1現在上映中の映画「ツレがうつになりまして。」(佐々部清監督)を観てきた。細川貂々さんの同名漫画を、佐々部監督と脚本家青島武氏のタッグで、三年越しで映画化を実現。描かれるのは、一組の夫婦。ハルさん(宮崎あおい)とツレ(堺雅人)が織りなす、派手じゃないけど、観るものの心をしっかと捉えるストーリー。激しく心を揺さぶりはしないが、心の芯からじんわり温めて、ほんのり幸せな気持ちにさせてくれる作品です。この「じわじわ感」が、なんともいいんですわ~(>_<) ところで、私は1992年から双極性障害(躁鬱病)の患者で、現在も投薬加療中の身です。だから「うつ病」という精神疾患の、苦しみ、悲しみ、挫折・・そしてそれを乗り越えたときに生まれるもの。そうした一連の複雑な感情を理解できます。だから、大好きな佐々部監督がメガホンをとる本作は、私にとっては特別な意味がある。自分にしか表現できない世界があると信じて、書き進めてみたいです。次の二点を軸に語りたい。

#1 心地よい時空間
#2 絆を深めるということ

まず、予告編のYouTubeを載っけておきます。



今回は#1について。うつという病気は、それはもう暗い、悲しい、辛い・・いいことない病気です。当たり前です。このうつという「じめじめした」病気を、本作は独特の世界観で描き切っている。もうこれは革命でさえあると思う。

tureutu2独特の世界観・・我ながら堅いな。これは細川貂々さんの原作のもつ「ユニークな空気」のことです。私は原作は読んでいない。パンフにちょっと載っていたので、それで僭越にも表現させていただくと・・うつが面白くなってる! なんじゃこら! なんだこの空気は! ひとことで言うと「嬉しい混乱」やね。じめじめしているはずのうつが、なんでこんなにも「愛しくて、おかしくて、ほっこりする」のか? やはり貂々さんの心の底から出てくる表現だからじゃないだろうか? 佐々部監督が惚れ込んだというエピソードもうなずける。要するに「ほんもの」なんです。原作の漫画は一見「安っぽい、作り込んでいない」ようだけど、ものすごく重要な主張をしている。つまりうつは、見方によっては面白くさえなる、と。この意表をつくパラドックスが、貂々さんの表現の根本だと思う。そしてそのパラドックスが、芸術としての「昇華」を可能にするのだ。あ、また堅くなっちゃった(笑)。

まず、青島武が脚本を書いた。原作者ご夫婦がこの脚本を初めて読んだとき、お二人とも泣いちゃったそうだ。そして「一切お任せします」と返事をなさったそうだ。それだけ脚本が、原作をよく理解して書かれていたということ。

そうして、佐々部監督指揮のもと、映像化される。原作の独特の空気を再現しようとして、いろんな試行錯誤があったと思う。まるちょうが気に入ったのは、もちろんキャストもあるんだけど、やっぱり住居と小物類だなぁ~ 美術スタッフのみなさん、素晴らしいお仕事! なんちゅー生活感よ。イグアナ、亀、縁側、ハルさんの仕事部屋、気持ちよさそうなソファー、畳と布団! そして、端々に挟まれる貂々さんの漫画。これがまた、よろしおすな~ やはり原作を活かすという意味では、その漫画そのものを出演させるというコンセプトは正しい。貂々さんは、この映画のために新たにスケッチブック二冊分のイラストを描き下ろしたそうだ。最後の方で、イラストがアニメーションになり、実写と融合するシーンは、素晴らしいなぁ~と思った。心地よい涙が、あふれました。

tureutu3 1結論から言うと、佐々部監督は貂々さんの原作の「ユニークな空気」を損なわず、誠実に映像化していると思う。監督の原作への「深い愛」を感じてしまう。そうして、貂々さんの主張するパラドックス・・「うつは苦しくて辛いだけのものはない、見方によれば、面白く表現できるんだ」というコンセプトを映像で表現しきったと思う。映像から伝わる「心地よい時空間」は、観る人の心を非言語的に癒す。それは監督の心のレンズを通して見た、貂々さんの世界だ。ホントに心地よい二時間あまりのひとときだった。ああいうのを「至福のとき」というんだろうな。まるちょうの思うに、貂々さんの微妙な色合いと、佐々部監督の作風って、とても相性がいいんじゃないかと。まったりと溶け合い、激しくないけどコクのある「何かしら静かに心打つもの」を生み出している気がする。極上のブレンドだな、うん。

さて、今回は総論的に書いてみました。次回はちょっと踏み込んで、#2「絆を深めるということ」というお題で書いてみます。