2010年回顧(前)

今年最後のBlogは、もちろん「2010年回顧」で書いてみます。今年の手帳を調べてみると、以下のむっつの事項が「自分なりのニュース」として挙がった。

#1 自治会長をしかと務め上げたこと

#2 お蝶夫人♪の通信制大学入学

#3 お蝶夫人♪の入院騒動(6月)とその後

#4 Blogで自分の病気を公表したこと

#5 iPadの購入、音楽や書籍の電子化

#6 映画(DVD)のBlog作成が軌道に乗る


ちょっと長くなったので、二回に分けて書きます。今回は#1から#3まで。


まず#1から。1月から3月にかけて、会長職は忙しかった。3/28の自治会総会の資料作り。それに加えて2月14日にゴミ有料化の説明会があり、そこで挨拶の時に声がうわずるという大失態。ホントいうと、あそこまでは楽観していた。あんなに自分があがり症だと思わなかった。あれで「会長職が完了するまでは、Blog書かない」という決心がついた。それ以降は、本当に会長職一筋で頑張った。3/28の総会も、相当に緊張したけど万全の体制で臨んだ甲斐あって、拍子抜けするくらいスムースに事が運んだ。2月のようにあがって声がうわずることもなかった。実を言うと、総会の「開会の辞」で自分の病気(双極性障害)のことを正直に告白し、妻に横に座ってもらったのがよかったのかもしれない。何しろ、妻は「影の名誉会長w」として、当自治会の渉外全般を請け負っていたのだ。あがり症の対策として、主治医からデパスの処方も受けていた。質疑応答で相当な質問責めになると覚悟していたが、そういうの全くなし。逆に呆気にとられてしまった。私の「正直な告白」に、みなさん同情されたのかな? ま、実際大変な一年間だったし。でも、会長職という自分ひとりでは到底無理な仕事をまっとうできたのは、何よりも財産である。一年間支えてくれたお蝶夫人♪に、改めて感謝いたします。

次に#2。これについては、前回の「我が家のクリスマス」でも少し触れた。お蝶夫人♪が4月から通信制の大学に入学した。星槎(せいさ)大学という。お蝶夫人♪にとっては、以前から胸に温めてきた展開とのこと。自分のこれまでの人生を振り返って、オリジナルな経験を基に体系的に学びたかったと。これは私も息子も大賛成だった。年4、5回のスクーリングでは、週末二日間、大阪まで通学しなくてはならない。相当な負荷だと思うけど、今年の4回のスクーリングは立派にやりきった。大したものだと思う。もちろんスクーリングの時は、私と息子の二人となる。そこで、皿を洗ったり、洗濯物をたたんだり、買い出しにいったり。そうした状況の変化も、またよきかな。我が家の総合的な発展のためには、むしろよい状況だと考えている。わが妻よ、しっかり研鑽を積んで、これからの人生に活かして下さい。僕と息子は、できるだけの支援をするつもりです。

そして#3。これを話しだすと長い。6月16日の朝、お蝶夫人♪の体調に異変あり。強い胸痛。狭心症? お蝶夫人♪は「いつも通り出勤して」と言う。私は心配ながらも、なんとか出勤。彼女は自力で草津市内の総合病院へ。まずは総合外来でいろいろ検査して、18日に循環器科のM医師外来再診。そこでおびただしい種類の薬が処方されていた。総合内科医の私がみても「眉をひそめる」薬の量。 「薬を出したがる医者」という印象をまず持った。 まぁ、それはいいとして、その晩、事件が起こる。お蝶夫人♪が一人先に寝室に入ったのだが、動けなくなったのだ。全身が硬直して体が動かせない。息はできる。私が寝室に入って、その状況に気づいたのが数時間後。しばらく様子を見ていたが、高脂血症の副作用だとやばいと感じ、QQ搬送依頼した。もちろん前述の草津市内の総合病院QQへ。採血ではCPKや腎機能などは正常でホッと一息。担当医は循環器の先生で「高脂血症の副作用ではない」との一点張り。わたしとしてはミオパチーの一種じゃないかと思っていたが、とりあえず病院到着後、硬直もちょっと改善していたし、一泊の入院を確約させて、その日は帰宅した。翌日私は土曜日の外来だったんだけど、不測の事態に備えて、無理を言って休診にしていただいた。

翌日はずっと点滴。頭痛や嘔気はあるものの、すっかり全身の硬直も改善。昼頃には退院できた。そして、である。28日に例の循環器外来のM医師との面談。これは私も同伴。その日、心臓に関する精査(心エコー、タリウムシンチ、採血など)実施。心臓は悪くないという結果だった。しかしその先生、引っ張るのね。16日の症状を狭心症発作と捉えると、経過観察が必要という姿勢。できれば、高脂血症や抗血小板療法もしたいと。しかし投薬に関しては、かたくなに抵抗。まだ一度だけの発作でもあり、今回の投薬に関連した副作用?のエピソードもある。狭心症と確定したわけでもないので、私としても、あまり必要とは思えなかった。ニトロ舌下錠だけは処方してもらったけど(しかし、その後使用なし)。結局その後、再診しては採血して「これは投薬必要と思いますがね~、どうですかね~」てな感じの算術丸出しの診察を何度も受けることとなる。私はずっと体調不良などにて、同伴できなかった。

そうして11月15日に、ようやく診察に同伴。6月以来、特に発作なくニトロも不使用。確かに軽度の高脂血症はあるけど、循環器疾患が確定しないのなら、投薬は必要ない程度。そのへんのことをしっかり主張した。そして「半年後再診」という案を打診してみた。診察しながら、生返事のM医師。了解されたんだろうなと思っていた。ところが、診察の最後、次回の予約の相談という段になって「じゃあ、次は年明け頃ということで・・」と言い出した。全然伝わってない!→その瞬間、私とお蝶夫人♪と看護師が口を揃えて「だから半年後って!」とM医師に反駁した。M医師は少しうろたえながらも、なんとか了承。結局半年後の診察は予約不可なので、半年後くらいに改めて予約外で受診という運びになった。算術は大事だけど、仁術のない算術ほど有害なものはないと思う。

今現在、お蝶夫人♪は元気でやっています。スポーツジムも、毎週木曜日にボクササイズを楽しみに頑張っている。M医師が聞いたら腰を抜かすところだろう。お蝶夫人♪は、基本的に私が診る。それで十分である。再度胸部症状が出ても、ニトロがあるので、まずは問題ないと思う(個人的には、冠攣縮性狭心症の可能性は否定できないと思っている)。現状の食生活と運動をやっておれば、動脈硬化の過度な心配は要らないと思う。むしろ問題は、ストレスのコントロールだと思うのね。

とりあえず、今回はここまで。あとのみっつ(#4から#6)については、明日(できるのか?)アップすることにします。